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日々感じること。心のままに。 私の病気の事、仕事やプライベート、心の中の事をありのままに。

阪神淡路大震災


1995年1月17日 あれからもう23年…。
この震災については、私がリアルに体験した事なので、
いつかちゃんと書いておこうと思っていた。
これは、子供にとても伝えておきたい事。




震災の年、私は24歳だった。
私にとって『 人生観を大きく変えた年 』でもある。
1995年は私にとって、散々な年だった。
その始まりがこの震災だった。



ある時、ニュースを見ながら急に思い立つ。
『 とにかく被災地に行ってみよう。』
私がそう思ったのは、震災からもうひと月程経っていた
と思う。隣町では何がおこっているのか、この目で
見て来ようと思った。




とにかく行ってみる。西宮までは電車が動いていた。
そこで電車を降り、神戸方面に向かって線路沿いを
ひたすら歩いた。
歩きながら、言葉にならない光景を目の当たりにした。
戦後って、こんな感じだったんじゃないかと思った。




頭の中が真っ白になった。
何にも言葉がでてこなかった。
あまりにもの衝撃の現状に、何も考えれなかった。
この世のものと思えない世界がそこには広がっていた。





そして、ある障害者センターに辿り着いてね。
何かお手伝い出来る事はありませんか?と聞くと、
炊き出しをするから、準備を手伝って欲しいと。



積み上げられた救援物資の段ボール。
極寒の吹きっさらしの中で、手が悴んで何度も何度も
包丁を落としながら、黙ってもくもくとジャガイモと
タマネギの皮を剥いた。
一生のうちで、あんなにたくさん皮を剥く事は、後にも
先にももうないだろうと思う。




その日から私は、仕事が休みで行ける日に、ボラン
ティア活動に参加するようになった。
炊き出し。救援物資の分配。トイレの掃除。
やることは常に山程あった。


このボランティア活動の中でも、人生観が変わる様な
出来事がたくさんあった。



あの年、日本中のあちこちから、たくさんの人が
被災地に来ていた。

『 日本のボランティア元年と、新聞やニュースで連日報道された。

でもね、そんな綺麗事ばかりではなかったんやよ。
報道されなかった色んな事が陰ではあった。




会社を長期で休んだり、休めないのなら辞めると、
退職金を全て持ってやって来たという人。
仕事をしてる場合じゃない、居ても立っても居られない
と、その日のうちにやって来た人。
神戸に行く!と、嫁も子供も置いて来たと武勇伝のよう
に語る人。
大学を休学してやってきた学生もいた。




色んな人がいた。その中で、仕事の休みの日にだけ手伝
いに来る私はそのボランティア仲間に馴染めなかった。
私ように、自分の都合で来て片手間にするのは失礼な
事なのかなって。
中途半端な事なのかなって。そう感じた時もあった。




でも、私は何回も考えてやっぱりそれでいいと思った。
その方が良い。と言った方がいいかな。
自分の出来る範囲が良いんだって。
お金も時間も、無理のない範囲でいいんだって。




大きな事は出来ないけれど、自分の身近で何かあったら
私は見て見ぬ振りは出来ない。
自分の大切な家族や友人、仲間を守れる人でいる事。
まずは目の前の人に手を差し伸べれる人である事。
私はそんな人でありたいと思う。
いつも思うんやよ。世の中の全ての人が、自分の目の前
の事だけでいいからそうできた時に、世界は必ず平和になるって。




もう少し、震災について書いておこうと思います。
私が見た事。感じた事。……続きはまた明日。