夫婦の形 ❸
今日も雪が舞い散る中、午後から神戸。
午前中の仕事がキャンセルになったので、遅めのブランチをしてから『 行ってきま〜す』と家を出る。
何でもない、いつもの私達家族の感じ。
何かね、外から見たらね、私達は普通じゃないみたい。
そもそも、普通って何やろ? ってなるんだけど(笑)
私達はまだ独身の時に、独立した。
自分達でこの仕事を始めて15年。
その間色んな事があった。
結婚し出産もして、私達は家族になった。
仕事のスタイルも、家事も育児も、その時々で形を変えて、何とかやってきた。
でもね、それから時は流れて。
私達のまた新しいライフスタイルが、この春からスタートするのです。
正月明けの夫婦会議(笑)で、これからの事をたくさん話したの。どんなライフスタイルを送りたいのか。
子供もこの春から中学生。12歳になった。
本当は中学卒業するまでは、今のままのスタイルでやって行くつもりだったのだけど。
私が病気をした事と、中学受験を決めた事で、将来の予定が少し前倒しになった。
私の夢は自分の『 アトリエ 』を持つ事。
ショップ?でもなく。サロン?でもなく『 アトリエ 』
出来る事なら、カフェを併設させて『 大人の隠れ家 』的な空間を創りたい。
もちろん、ジュエリーや女性をキラキラさせる仕事を軸にやってくんだけどね。
大人がワクワクする空間。
そこに同じ感性の大人達が集まって、いつも楽しい事や面白い事を次々に企画して、形にしてく感じ。
その拠点創り。
その第2弾は鎌倉。イメージはもうできてる(笑)
あっ、この話は長くなるので、また次の機会に。
パートナーも、ジュエリーの仕事を軸に、もうひとつ。
一昨年から始めた仕事も徐々に先が見えてきたようで。
場所も時間も問わず、自分のスタイルで出来る仕事。
もっと自由になって、時間やお金に捉われない生き方がしたいと。
いつも夜中まで、2人してワクワクしながら話をする。
こうやって、いつも私達は話し合ってきた。
乗り越える事、課題も山積みだけど。
それでも、今まで笑い飛ばしながら何とかしてきた。
だから、これからだって必ずできる。
かつて、ミネソタ州にスパーキーと呼ばれていた少年がいた。
少年は中学、高校と勉強はからきしダメで、スポーツも不得意だったが、絵を描くことだけは大好きだった。
理髪師だった父親が新聞の漫画を愛好していた影響で、将来は世界的な漫画家になるという夢を持っていた。
高校を卒業後、雑誌社に漫画を投稿しつづけたが、結局、一度も採用されなかった。
その後、2年間軍隊で働いたが、戦争が終わると大好きな漫画を描く生活に戻った。
そしてまたもや漫画を雑誌社に投稿したが、いっこうに認められなかった。
しかし、1950年、ついに地元の新聞社が彼の才能を見抜き、漫画の連載を始めた。
すると内気な少年とユーモアに富む犬の人気が高まり、とうとう世界的な人気を博すようになった。
もうおわかりだろう。
スパーキーと呼ばれていたこの少年こそ、チャーリー・ブラウンとスヌーピーが登場する人気漫画【ピーナツ】の生みの親チャールズ・シュルツその人なのである。
彼は2000年まで半世紀にわたってこの漫画を全米の新聞に連載し、大勢の人びとに夢と感動を与えた。
シュルツが大成功をおさめた要因は何だろうか?
それは、どんなに拒絶されても、自分の好きなことをやりぬいたことだ。
あなたの好きなことは何だろうか?
いくら拒絶されても、本当に好きなことなら乗り越えられる。
『希望と幸福に満ちた人生の扉をひらく50の法則』ディスカバー
全世界でベストセラーとなった「ハリーポッター」の作者は、J・K・ローリング女史。
年収は180億円、推定資産は800億円といわれ、総資産はついにエリザベス女王を越えた。
世界で最も成功した小説家として知られているが、小説が売れるまでの彼女は、離婚や貧困、うつ病にもなり、自殺を考えたこともあったという。
そして、娘を抱え、シングルマザーとして生活保護も受けながら「ハリーポッター」の出版のため、12の出版社を訪ねたがことごとく断られたそうだ。
『あきらめない奴には、誰も勝てっこない 』
(ベーブ・ルース)
どんなに拒絶されようが、困難に出くわそうが、あきらめなかったら、失敗にはならない。
運の神様が好きなのは、あきらめない人。
断られても断られても…
あきらめずに挑戦し続ける人でありたい。
ジェームズ・スペンソン氏の心に響く言葉より…
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