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日々感じること。心のままに。 私の病気の事、仕事やプライベート、心の中の事をありのままに。

検査報告(カテーテル治療②)



今日は、IGTクリニックの検査日。
採血から始まり、造影剤CT、レントゲンと心電図。
前回のカテーテル治療の結果を確認し、それに踏まえて来週3回目の治療法をどうするかの、カンファレンス & 診察日でした。



結果から言うと、腫瘍の大きさは、変わらないか少し小さくなったかなぁという感じ。ただ画像を見る限りでは、腫瘍の輪郭がぼやけて、色が薄くなってきてる。
薬が効いてきたと考えて良いとの事。

そのまま放置していたら、徐々に大きくなっていただろうと思うと、進行が止まってくれた事も私にとっては大きなプラスなのです。



私の腫瘍は、消えてなくなるタイプでは無さそうだと。
徐々に薄く小さくなって落ち着くパターンだろうと。
よって、来週の3回目の治療も同じ薬でやってみましょうとの事。3回連続で治療したら、秋からは様子を見て、新しいお薬も使ってやって行こうという事でした。



朝9時半〜検査が始まり、2時間程で全て結果が出る。
検査自体は30分もあれば全て済むので、その後は結果が出るまで、いつもの如く海を眺めながら珈琲タイム。
結果が出たら診察室に呼ばれ、堀先生とのカンファレンスが始まる。
この半日で全てが終わるスピーディさは、私達患者の色んな負担が少なくて、有難いなぁといつも思う。



『 どうですか? この前の2回目の治療後、体調悪くない? 普段通りの生活が出来てますか? どこか痛いとかない?』


診察室に入るなり、少しドキッとする事を言われる。
えっ?こんな事を聞かれるって事は悪化してるのかな?


「 全然大丈夫です。いたって普通に元気にしてます。どこも痛い所も、気分悪い事も全く無いです。」


『 そうですか。それなら良かった。では、今回の結果見ていきましょうね。数値も至って正常。問題なし。』


そして、先ほどの画像結果を診断してもらう。
前回、前々回の画像を並べて一緒に見ていく。



「 堀先生⁈(笑)すみません、ちょっと良いですか⁇ 今日の結果って良いって事ですよね⁉︎ 消えて無くなってないけど、お薬効いてるって事ですよね⁇
もう先生〜(笑)深妙な顔されて、体調どう?とか普段通りの生活が出来てる?とか私の顔見るなり最初に色々仰ったから、腫瘍が大きくなってたのかとドキッとしました!」



私、話の途中で、思わず本音を言ってしまう(笑)
そしたら先生、それはゴメンねって笑ってはりました。
そんな冗談も言える雰囲気なのが、嬉しいなぁと思う。
今日はライザ○プに行きたいなんて、我儘は言ってないからね〜(爆笑)



それから、現代医学について少し話をする。
日々医学は進歩している様で、色んなしがらみがある。
新薬が認められるまでの、莫大なお金と時間について。
堀先生の仰る事はシンプルで、私にもよく理解出来た。



私ね、何が安心感なのか、今日少し分かったの。
ものすごい最先端医療なんだけどね、私達に対する思いが、ちゃんとアナログなんよね。
患者と一緒に頑張るよって、一緒に治療法の相談をしながら治すよっていう姿勢がホッとするよね。
ここのクリニックは、堀医院長を始め全てのスタッフが気さくで優しい。上から物を言う人が一人もいない。



もちろん、逆にそれが不安になる人もいるだろうから、
あくまでも、私の主観で、私の性格には合うクリニックなんだと思うのです。



『 色んな治療法を日々模索している。臨床も取れて危険でないと判断したものは、積極的に提案する。
髙野さんの腫瘍にアプローチできるんじゃないかと思うものを、今後も提案していきます。』



うん、大丈夫。
来週もバカンス気分で頑張るよ!(笑)

心穏やかに



稲穂がぐんぐん力強く伸びてとても美しい景色。
これぞ、日本の田舎の風景だなぁと思いながら車を走らせる。もう何回この道を通っただろう。
この田園風景って、見てるだけで豊かな気持ちになる。




自分自身の心がね穏やかになる感じ。自然に還る感じ。
春夏秋冬ってね、日本にはちゃんと季節があるでしょう。だからかな。それがとてもホッとする時がある。
季節のある国に生まれて良かったなぁと心から思う。



『 由美ちゃん、今日来るの? ほな顔見に行くわ〜。』
って。嬉しいな。
きっと、なすびやトマト、夏野菜をどっさり下さるはず『 これ持って帰り〜』って。(笑)
そんな事が、しみじみ嬉しい。
帰りの車の中で涙が止まらない時がある。



この世はまだまだ幸せがたくさんある。



一生懸命考えても、答えの出ない事。
今はちょっと横に置いて、先に進んでみよう。


本当はシンプルな事なのに、自分で難しくしてる事。
今はちょっと考えるのやめて、少し目を閉じてみよう。



私の心も 身体も もう少しの間
穏やかでありますよう…

メンター


昨日blogに【 メンター 】の事を少し書いたのだけど。
今日はもう少し深く書いてみようと思う。
メンターって言葉、聞き慣れない人もいるよね。
仕事や人生に於いての指導者、助言者の事なんだけど。
皆さんには【 メンター 】っていますか?



これは難しい話ではなくて、自分の周りに必ずいると思う。特別な人でなくても、自分が何かに迷ったり、大きな決断に迫られたりした時に、的確なアドバイスをくれる人。自分の背中を押してくれる人。その人に会うだけで、元気になれる人。それがメンターです。
私もこれまでに数人、そんな指導者がいました。



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私が初めて、特定のメンターに相談に行くようになったのは、20代の半ばだった。
『 いいか、目に見えてるもののほとんどが嘘。目に見えない事の中に真実がある。』
びっくりするようなそんな話を、でも私にはしっくりきたそんな話を、そのチャネラーの先生は、たくさん教えてくれた。



その先生から教わる話は、とても面白かった。
私はそれまで、そんな話をのびのびとした事がなくて。
目の前で起きるびっくり現象も、私にはとても新鮮な事だった。『 自分の考え方、見えてると思ってる事、それを一度全部疑ってみた方がいい。』
そんな事を日々教えられた。



でもそんなある日、私が当時大好きだった人に、初めてこの話をした時の事。
「 自分がクリアになっていく気がする。この先生の話の中に答えがある気がする。」って言ったらね。
全否定されたの(笑)私のこのひと言に、全否定。



そんなものは無い。お前はおかしい。世の中、目に見えるものが全てや。って。
それやったらな、そんなんが全部分かるんやったら、世の中の人皆んな幸せで、全員金持ちやろ!って。
これはどうなん?じゃぁ、これを証明してみてとか。
ありとあらゆる事を並べて、笑われたのね。



私ね、その時にはまだ何にも言えなかった(笑)
あのね、そんな世界が有るとか無いとかじゃなくて。
私は私の感じる事、視えてる事が私には普通なんよね。
証明できる事だけが真実で、証明できない事が全部嘘ならば、世の中は嘘だらけだ。
後から思えば、あるという前提で、私が話をした事がダメだったのね。



でも、その人に嫌われたくなかった。
そやんね、証明とかどうすればいいのかわからないし。
私はこの現実世界で生きて行くのだから、やっぱりそんな訳の分からない話は全部封印しようと思ったの。



それからは、先生に言われる事を全く実行しなかった。
先生の助言は、外れればいいくらいに思ってたし(笑)
言う通りにしなければ、その言葉を信じなければ、私が動かなければ何も変わらないんだから。
そんな事は後付けで、なんとでも言えるよなと、本当にそう思ってた。



そして、そんな事は先生には全てお見通しだった。
あの時に、私がもっと素直に話が聞けていれば、こんなに遠回りしなくて済んだのかもしれない。
何十年も経ってから、あの時の言葉の意味が初めて分かったりもする。
でも今は、それも全て私のタイミングで、必然だったんだろうと思う。



何かを信じる事で、考え方は必ず変化していく。
今まで自分が思っていた【 成功する 】と言う意味合いが根本から違ってきたり、お金に対しての考え方も変わってきたりする。
その考え方の変化を受け入れる事が、成長なんだろうなと思う。



【 メンター 】そのものに対する思いも、違ってきた。
特別な凄い先生だからメンターなのではないと思う。
身近な友人(ソウルメイト)も然り、庭の植物も然り、子供も然り。学ぼうと思えば何からでも、何処からでも学べると私は思う。

我以外皆我師




『 もう貴女はここには来なくていい。僕が言う事がもう分かってるよね? ここにはその確認で来てるよね? だから、もう僕からは卒業。』



最後のメンターに言われた言葉。40手前だった。
それから私は特別なメンターを持たずに今日まで来た。
もちろん、その時々にたくさんの人に助けられた。
その都度、たくさんの気付きやアドバイスを貰った。
それは、友達や家族。そして、お客様やお取引先様の事もあるし、子供や植物の時もあった。



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私が幼少の頃から、目に視えない世界と縁がある事は、これまでにも少しずつ書いて来たんだけど。
私は20代の頃、目に見えるもの以外は全く信じないと決めた時期があった。と言うか、信じたくなかった。


私は、確実にそこにあるのだけど目に視えない世界を
心のどこかでいつも気になりながら、でも全否定した。
物心着く頃には、そんな人や物事にどうしても縁があり
でもそれが、嫌で嫌で仕方がなかった。
その類の人達から、あなたも分かるでしょ??って言われる事から、解放されたかった。



それでも、縁があるものからは、良いも悪いも離れられないんだよね。
何だかいつも私の周りに、そんな人が寄って来た。
でも自分でも薄々気づいてたんだけどね。



私は周りの友達には、その類の話は一切しなかった。
そんな話をしたら、人が離れて行く気がして怖かった。
少し話をすると、攻撃してくる人も沢山いた。
だから、私は口を噤んでしまった。
あれ?あなたの普通と、私の普通って少しズレがある?
そう敏感に感じ出したのは大人になってからだった。



私ね、あなたは何者?って聞かれたり、普通とか普通じゃないとか、視えるとか見えないとか、そんな区別をしたりする事自体が、本当は違うと思ってるの。




この自然界、宇宙には不思議な事で満ち溢れている。
言葉にならない、言葉に出来ない事で溢れている。
説明のつかない事だらけなんよね。



ただ、いつもそんな事を思いながらも考える事。それは
私達は現実のリアルな日常を生きてるという事。



日々のたくさんの学びも、人からだけでなく、自然界から教わる事も多いでしょう。
だから私は、ソウルメイトと一緒に切磋琢磨して生きていく、それが全てだとも思ってるのね。



こんな話を避けてた訳ではないんだけど、私自身が感じる事。私自身が思う事。
今日から少しずつ、書いていこうと思います。



【 我以外皆我師 】
自分以外の人すべて自分の先生である、自分を育ててくれるのは、自分と関わったすべての人だという事。

母との確執 ②



もう一つ、母との間で決着のつかなかった話があって。
今日もそのまま書いちゃおうと思う。
きっと、これで心のモヤモヤはスッキリするかな。



夏の季節になると、戦争のテレビ番組が増えるでしょ。
亡き母は昭和12年の戦時中に生まれている。
母もまた、当時の事を思い出して、話をよくしてた。
神主の家に育った彼女は、幼い頃は何不自由ない生活をしていたのだけど、敗戦と同時に家も財産も全てを無くしたのです。



戦後、戦地から栄養失調で帰ってきた兄と、病気の両親を続けて看取った母は、その頃どんな思いで生きて来たんだろうと思う。想像するだけで辛かったと思う。
その頃の母に会えたら抱きしめてあげたいと思う。



『 由美は戦争というものを知らないからね。』
と、そんな話になるとこう言われた。
『 ママは、アメリカ兵のくれるおかしは一切食べなかった。他の子供達がチョコレートとかビスケットを貰いに、ジープが来ると群がってたけど、私は絶対に行かなかった。』といつも聞かされた。
食料がなくて、いつも皆んなひもじい思いをしてた事。
農家に行き、着物とサツマイモを交換してもらった事。
当時の大変な話を、私は散々聞いた。



『 私がもし戦時中に生まれて、女学生とかもう大人だったとしたら、身体を張って生きたと思う。』


私のこの一言から、母とすごい言い合いになったの。


『 もし食料が無くて、家族が飢えてたら、私はきっと身体を売ってでも、お米を持って帰って来たと思う。』


あの時、一瞬にして母の顔色が変わったのが分かった。
そして、私をジッと見つめながら母が言ったの。


「 そんな辱めを受ける位なら、死んだ方がいい。あんたはプライドが無いんか。何を言うの? 情けない。」



私もしその時代に生まれてたら、身体を売って家族を食べさす事をしたと思うと言ってしまったの。
そしたら、私にはプライドがないと。
違うねんよママ、私のプライドはね、どんな事してでも食べさせる事やねん。
家族をお腹いっぱいにね。それがプライドやねん。
キレイ事だけでは済まない時ってあるやん?
私はそんな時は手段を選ばないんよ。なんだってする。



あぁ、私はまた要らんことを口にしたなぁと思った。
でもね、それは本心だった。私は間違いなく、家族がお腹いっぱい食べる為に生きたと思う。
何をやってもいいとは思わない。
ただ、もしその当時生きて行く為やったら、私ならそうしたかもしれないと思ったから、言ってしまったのね。



そんな事をしてまで、生きなくていいという母。

生きて行く為だったら、どんな事でもやれるという私。



全てがこの違いなんやなぁと、分かった時があって。
あのね私ね、どんなに困っても、本当に身体を売った事なんてないし(笑)それが良いなんて全く思ってない。
でも、体裁ばかり取り繕ってもダメな時もあるやん。
私のプライドは大切なものを守りきる事やねんよ。



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【 武士は食わねど高楊枝 】って言葉があるけどね。
亡き母にとてもしっくりくる言葉だなぁといつも思う。
うちの母は、本当にそんな人だったなぁと思う。
母と私はあまりそりが合わなかったのは確かだけど。
母も母の人生を精一杯生きたんだって、今なら分かる。



ねぇ息を引き取る瞬間に、私をじっと見つめたでしょ?
本当に悔しい。時間を戻してほしい。
5分だけでもいい。母にもう一度だけ会って言いたい。



『 たくさん喧嘩もしたけど。きっと本当は大好きだった。私どうやらママにとても似てきたのよ。生意気な娘でごめんね。平行線のままの会話もたくさんあるけど。私の中に、沢山の言葉を遺してくれてありがとう。 』




【 武士は食わねど高楊枝 】
武士は貧しくて食事に困るときでも、今、食べたばかりに装ってゆうゆうと楊枝を使う。武士はたとえ貧しくとも清貧に安んじ、気位が高いことにいう。また、やせがまんすることにもいう。

母との確執 ①




母が昨日夢に出て来たから、やっぱり書いておこう。
ここ数日、何となく上の空みたいなblogになっていて。
自分でも何だか、うわべだけのどうでも良い事を書いてる感満載で(笑)
心に何か引っかかったまま、先には進めないね。
今やる事いっぱいで、楽しい事続きなんだけど、心の中の何かを避けて通るってやっぱり無理だね(笑)



私が母とはどうしても分かり合えなかった事がなんなのか。ちゃんと書いておこうと思う。
あの頃、もちろん日々喧嘩をしていた訳ではないし、家族も基本仲良かったしね。
普段は笑顔だし、楽しい事もたくさんあった。
ただ深い話をし出したら、必ず噛み合わなかった。
だから、なるべくそんな話は、お互い避けてたと思う。



私は本当に生意気な娘だったと思う。
前にも少し書いたのだけど、阪神淡路大震災の年に、父の会社がダメになった。
新聞にも載る程の出来事で、父の会社も連鎖倒産に巻き込まれた形だった。
その時はもう、私も弟も社会人になってたので、何とかやっていけたのだと思う。



私は、あの頃の母がどうしても許せなかった。
母が父の小言を私に言うようになった事もあったのだと思う。私は母の口から毎日でる溜め息や、愚痴が心底嫌だった。グチャグチャ文句を言ってる暇があったら、手に職があるのだから稼ぐ事を考えろと思っていた。
でも母は動かなかった。



後から思えばね、心が疲れすぎて動けなかったのかもしれない。私の知らない事が、きっともっとたくさんあったのかもしれない。
でもね、家が、自分の旦那が、大変な事になってる時に
他人事みたいな態度で、大変大変って言ってるみたいで
ママ、何やってるん?ってずっと思ってたのよね私。
父の事より、あの頃は母の態度が許せなかったのよ。



私だったら、家族の生活を守る為に何でもしたと思う。
妻だったら、何だってどんな事だってしたと思う。
自分の旦那を突き放すのではなく、全力で守ると思う。
それが夫婦だと思うから。だって人生色々あるやん。
良い時だけじゃなく、夫婦やったら悪い時も一緒やん?
六畳一間の生活になったとしても、自分の旦那を必ずまた表に出させてみせるって、必ず成功させてみせるって、私なら頑張ったと思う。
それが私と母の性格の違いなのかもしれない。




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私はお嬢ではないけれど、物心ついた頃から経営者の娘の扱いをされていたし、良い生活もさせてもらってたと思う。
父を見ながら、私も30には自分の会社を創るんだと、ずっと思ってきたから。
だから、父とはたくさん話をした。
普通の父娘以上のつながりがあったのだと思う。
でも母とはそんな話はほとんどしなかった。



そんなこんながあって、何とか目処がついてきたある日
母が言った言葉が、どうしても引っかかったの。



『 ママはパパをずっと見て来たからね。ずっと一緒にやって来てんからよくわかるのよ。』



母のサラッと言った言葉がなぜか許せなかった。
ずっと黙って聞いてたのに、私も言わなくてよかったのに、その時に母に言ってしまった後悔してる言葉がある。



『 あのさ、ママはずっと助手席に座ってただけやん? 運転席の景色とは全然違うよ。ハンドルを握ってる本人とね、横に乗ってるだけの人とは違う。同じ車に乗ってても、同じ景色を見ていても、視えてるものが全く違うねんよ。ママは分かってないと思う。私はパパの気持ちがもの凄く分かるよ。』



って、言っちゃったの……。
あなたは横でずっと見てただけで、経営者ではない。
パパと同じ思いなんて、してないやん?って。
吐いた言葉は二度と返ってこないね。



「 あんたは何でも知ったような顔して。その目が嫌い。何もかも見透かしてるような、その目がホンマに嫌い。あんたとは分かり合えないわ。」



母が私に言った言葉が。
あの時に、私を睨みつけて言った言葉が。
あんたって。
私の事を娘ではなく他人のように、あんたって言った母の事が、私も忘れられない。



夏の暑い日に、ベランダの花の水遣りの手を止めて、母が私に言った言葉。今でも胸がキュッとなる。


それなのに。こんなに母に似てきてしまった…。


【 過去記事 】
自己紹介の続き - yumi-fields
父の事を… - yumi-fields

時間の使い方




『 由美は時間の使い方が下手やね。どんな人も1日24時間は決まってる。時間が無いんじゃない。あなたの使い方が悪いだけ。』


またもや、明け方に呆れ顔の亡き母登場。
私きっと、昨夜はしかめっ面で寝てたと思う。
夢に母が出て来て、小言をずっと言われてたみたい。
細かい内容は覚えてないんだけど(笑)



私ね、最近ちょっと仕事し過ぎなんかな。
仕事だけでなく、スケジュール入れ過ぎかも(笑)
ここ数日、ウォーキングも出来てないし、もちろんスタバでお茶する時間もない。
1人で、ぼ〜っとする時間が取れてない。
それって、あかんよね?(笑)



でもね、毎日楽しい事ばっかりで充実してるのね。
ストレスがある訳ではないの。……ただね
何となく、スケジュールに支配されてる感があるのね。
もちろん自分で組んでるんだけど、たまに手帳見返して、びっくりする時があるのも確か(笑)



10時に大阪市内。14時に和歌山市。19時に姫路市
いやいや、仕事の段取り考えて、アポイントは入れてるはずなんだけどね(笑)
普通はね、和歌山に一つ入ったら、その周辺で一日仕事するように組むんだけどね。
たまにズラせなくて、めっちゃハードな日があるのね。



いつまでも、若い時と同じような動き方してるしね。
自分がまだ病気である事もすっかり忘れてるし(笑)
それはいいとしても。
もう少し時間も心もゆったりしないといけないなぁと。



これから、どんどん忙しくなるでしょう?
だから、昨夜は母が出て来て、色々と私に言いたかったんやね(笑)
きっと、心配もあったんだろうと思う。



今日は土用の丑の日で、うちのパートナーが美味しい鰻を買って来たので、実家に行って皆で鰻丼を食べたのね。父も祖母も喜んで、美味しい美味しいってパクパク食べてたの。



そしたら父も祖母も口を揃えて私に言うのよ。
『 由美も色々と日々忙しいねんから、こんなん持って来んでいい。鰻は美味しいけどな。』
何やそれ! (笑)私もそんな顔が見たいから、何とかかんとかスケジュールの合間をぬって顔見に行くんやんか!(爆笑)
ってな感じで、行くとこや会いたい人が増える訳よ〜




『 由美はね、もっと時間の使い方を考えなさい。何でも詰め込み過ぎ。あれもこれも欲張り過ぎ。時間もスケジュールも腹八分で丁度いい。ゆったり自分と向き合う時間を作りなさい。』


はーい、お母たま!(笑)もう当分出てこんでいいよ!