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日々感じること。心のままに。 私の病気の事、仕事やプライベート、心の中の事をありのままに。

天国の母へ


今日はとてもとても辛い事があった。
頭が真っ白になるとか、心にぽっかり穴が開くってこんな感じなんだなぁ。
たくさんたくさん書きたい事があるはずなのに。
今日は何も言葉が出て来ないわ。


母が生前、いつも私に言ってた言葉。

【 泣けば負け 怒れば同等 笑えば勝ち 】

『いつも笑ってなさい。笑顔に勝るものはない。辛い時こそ笑顔なんやで。』



でもね、ママ。今日はね、とても心が疲れてしまって、上手く笑えないねん。
笑顔でいなさい。いつも笑ってなさい!
鏡で自分の顔を見てから外に出なさい!
本当にいつもいつも怒られてたけど。
今日は作り笑いも難しいわ(笑)


そんな時もあるよね。
あのね、私もね、おいおい泣いたり、汚い言葉吐いたりするのよ。
ママが知らないだけ。


泣けば負け。怒れば同等。笑えば勝ち。

ちゃんとわかってるから。
今日だけは許してほしい…

ホクロ


うちの子には鼻の横にホクロが有ります。
生まれた時は全く分からなかったのですが、成長するにつれ、そのホクロも大きくなりました。
まだ小さい時に「これ早く取った方がいいよ。イジメに合うで」とママ友に言われました。



なるほど、そんな風に見る人もいるのね、と思っていましたが、私は全く気にしていませんでした。ただ、私は良くても隆真が悲しい思いをするのかなと、そんな事が一瞬頭をよぎりましたが、いやいやそれは違うなと。



小学校の低学年の頃、学校から帰ってくるなり悲しい顔で言うのです。
以下、その時の日記が残っていました。

4月20日
帰宅した隆真の顔を見て何かあったなとすぐにわかる。

「 ママ、隆ちゃんのホクロの事で、ゴミついてるとか鼻クソが付いてるって皆んなが笑うねん… 」

『 えっ? マジで? そんな事言う子がいるの? そんなん言う子は誰? もう笑かすな〜!』

「 ◯◯と◯◯やで。ママ何で笑うの!? 隆ちゃんな、傷付いてるねんで …(泣)」


…あーぁ、あの子達やな、そら言うやろな。
あのガキンチョめ! いっつも要らん事ばっかりしよって!今度 会ったらタダじゃおかんからな。と心の中で叫ぶ。


『 隆真も何で、そんな事で傷付くのよ! 僕のトレード・マークやって言うたり!初めて会った人も皆んな、隆真の事をすぐに覚えてくれるよ。あのホクロある子って言うてもらえるねんで。逆にラッキーやんか!』

「 トレード・マークって何? それは良いもの?」

『 隆真だってわかる、特徴みたいな事よ。そやね、ママはある方が得やなって思うよ 。それにしても隆真、そんな嫌な事を言われて、自分も言い返してやろうと思わなかったの? 』


「 だって、ママはいつも相手にしたらあかんって言うやん? それに、顔の事とか体の事とかは言ったらダメって言うやん!」


『 そうか。そうだね隆真。あんた偉かったねぇ。ホンマに偉かったね。上出来や!』


隆真、ママは分かってるねんよ。
あなたがお友達の言葉にどれだけ傷付いて、トボトボ帰ってきたのか。本当は、ママも痛い程わかるのよ。
だからこそ、あの時に笑い飛ばしたんだよ。


私は何かが起こった時、特にネガティヴな出来事があった時の反応には気をつけている。子供には、その事の良し悪しではなく『 うわっ最悪〜もう嫌、あかん…etc 』等の、親の第一声が、心に刷り込まれてしまうからです。


ホクロだけでなく、身体的特徴は誰にでもあるのです。
それをネガティヴに捉え、コンプレックスにしてしまうのか、逆にそれを武器にできる子にするかは、まだ子供が十代のうちは親の責任だと思っています。



* * * * * * * *


コンプレックスだと思い込んでる事は、実は武器になるとも思っています。
見方を少し変えてやるのです。こんな事がありました。



お客様のお孫さんで女の子なんですが、小学校の3年生頃からグングン背が伸びて、6年生の頃には身長が170㎝を超えてしまったと。


ランドセルも似合わないし、背ばっかり伸びて可哀想だわ。それがコンプレックスで、すごく暗い子やねん。いつも猫背やしね。目立たんとこうと思っても目立つから可哀想やわ。と。



私ね、思わずお客様に言っちゃったんです。
『 それ、コンプレックスにしてしまってるのは◯◯さんですよ。12歳でこのスタイルってなかなか無いです!それ、活かすべきです!身長が高いからこその◯◯ちゃんが活躍出来る場が、必ずあります。もっと褒めましょ。自信を持たせてあげないと、勿体無いです!モデルはどうですか?バスケットやバレーボールとか、スポーツの世界だって引っ張りだこですよ! 』



何かね、ちょっとムキになってしまったのもあるんだけど、悔しかったのです。
子供ってね、大人がなんの気なしに言った言葉をちゃんと受け止めちゃうんです。
だからこそ、気をつけないといけないんです。



身長が高いのは、その子の特性、個性であって、決してネガティヴなものではないのです。親が可哀想と思えば、子供はその事をそう捉えるでしょう。




全ての人に長所と短所があります。これは必ずセットで、どちらかだけなんて人はいません。
「長所」だけではなく「短所」とされていることも全部含めて『 個性 』なのです。



もっともっと、未来の子供達の個性を引き出して、伸ばしてやりたいと切に思います。



追伸…
背が高くて、ずっと猫背だった◯◯ちゃんは、今中学校でバレーボールをしています。一年生からレギュラーに抜擢され大活躍しています。
本当は、とても笑顔の素敵な女の子です。

亡き母との想い出


私は母とは、昔は本当にそりが合わなかった。
母はきっと、学生の頃の私の事が大嫌いだったと思う。
私も母と向き合って話をするのがとても苦手だった。



いつからだろう、何となく話をするようになったのは。
きっと私に子供が生まれてから、少しずつ色んな話をするようになったんだろうな。
それまでは顔を合わすと小言ばかり言われて来た。
とにかく、母は私のする事なす事全てにダメ出しをするような人だった。
基本、私は父とは仲良しでパパっ子だったのだと思う。



昨日のblogにも書いたけれど、母は少々こだわりの強い人で、こうだと思ったら一切曲げない。
私にすれば、それはこだわりではなく、頑固なだけやんと思うのだけれどね。



* * * * * * *



母は若い頃、服飾デザイナーだったのだけれど、本当に目立つ人だった。
学校でも他のお母様達より一回り位 年上で若くないんだけど、参観日はどこに居ても直ぐに見つけられる程だった。
昔から髪型はずっと茶髪のボブ。
着る服は全て自分で作るから、既製品とはちょっと違う。



ゆえに、私もずっと母お手製の洋服だった。
普段着はともかく、お出かけする時は全て母の着せたい服で、私が着たい服を着た事はほぼ無いのです。
母は当時、お金持ちのお宅にお客様がたくさんあって、採寸などの仕事の度に、私も連れて行った。
今から思えばね、親子でお揃いの洋服とか、お客様に見せたかったのかもしれないなぁ。新作とかね。



でも私も大きくなってきて、自我がでてくるでしょう。
小学生の頃、ぶりっ子ブラウスが流行っていてね。
私の年代の人は覚えてると思うのだけど、それ大きずぎやろ!っていう位、大きなレースの襟がついたブラウスが流行ったのだけれど、もちろん私は買ってもらえなかった。あの時は大げさでなく、絶望する位の気持ちだった。あの時初めて、買ってほしい!って号泣したのです。



『 あんな安もんのレースのブラウスなんてダメよ。ママが作るわ。』…これが、いつものパターンなのです。
そして、シルクのフリフリの仕立ては良いけど、こんなん全くもって違うものやん!?ってな、ブラウスが完成するのです。



キャンディキャンディの靴がどうしても履きたくても買ってもらえなかったしね。こっち向きとあっち向きで、キャンディの表情が変わる、あの靴ね。
皆んな可愛いの履いてたのに。1,980円で売ってたのに!



母はこっちの方がいいと、メーカーもんのスニーカーとか、これキャンディも履いてるやん!と編み上げの革のブーツを買ってきたりしたのです。
今から思えばね、かなり贅沢なんだけどね(笑)



でも私は、それが本当に本当に、嫌だった。
皆んなと一緒がよかったのに、いつも皆んなと違う格好で違う物を持たされた。
それがトラウマになる位、その当時は辛かったのです。



今は人と同じは嫌だ!位に思ってるので、全部笑い話だし、きっとすごい贅沢をさせてもらってたんだと思う。
でも当時の私は、皆んなと一緒じゃない事が最大のコンプレックスだったのです。



* * * * * * *



私も子育ての中で、母が居てくれて良かったと心底思ったし、たくさんお世話になって、今は感謝しかない。



若い頃、なぜ母ともっと仲良く出来なかったんだろう。なぜ避けてたんだろう。
亡き母とは、ほろ苦い思い出がたくさんあるのです。



その事をね、父に少し話した事があるんです。
母とは良い想い出がほとんどないって。
そしたら父が私に言った事。


【 それはな由美。由美がとても幸せやったって事や。日々の幸せな中にあるほんの少しの辛い事やから、それが想い出になるねん。本当に不幸な人はな、幸せな事が少ないから、数少ない嬉しい事や楽しかった事が想い出になっていくんや。逆なんやで。だから、由美もママも幸せやったんや。】


そっか。父にそう言われて少し心が救われたんです。

おふくろの味


『 ママ、おばぁちゃんの味の、ほうれん草のお浸しが食べたいねん。あのお出汁の味がいいねん。』


急に言われて、ドキッとした。
そうだよね。ごめんね。あのお出汁の味ね。
ママ、おばぁちゃんに習っとかないといけなかったね。



隆真が幼稚園の頃の4年間、私達3人は私の実家で両親と同居していました。
その時は母がまだ元気で、孫の為に日々食事をしてくれていたのです。
添加物は良くないからと、ほぼ何でも手作りでした。
隆真が何でもよく食べ、好き嫌いが全くないのは母のお陰です。



うちには母の秘伝のお出汁があって、全ての料理がそのお出汁ベースで出来るという万能出汁がありました。
鰹節や昆布にもこだわって、寸胴鍋で何時間もかけてコトコトと煮出した濃縮出汁。
私も生まれた時からこの味で育ってきました。



母が体調が悪くなって台所に立てなくなる前に、伝授して貰えばよかったのに。
今更なんだけどね。とても残念。



* * * * * * * *



私がまだ小学生の頃、近所にハンバーガーショップが出来て、私はどうしてもそれが食べたいと言うと、母は作ると言うのです。
無添加のパン屋さんのバンズを買ってきて、牛肉をミンチにしてパテを作り、レタスもトマトも分厚くて(笑)
100%オーガニックのハンバーガーの出来上がりです。

『 いや違うねんよ、ママ。私はファストフードのペチャンコのハンバーガーが食べたいねん!』



カップラーメンももちろん食べさせてもらえなかったので、私にはカップヌードルが憧れの存在でした(笑)
ラーメンが食べたいと言うと、鶏ガラや豚骨、もちろんスープからじっくり製作です。
ここの中華麺が手打ちで美味しいからと、チャーシューも紐で縛って、もう全て手作りです。

『 違うねんママ、私はお湯かけて3分のが食べたいの! こんなんが食べたいんとちゃうから 』



母は何でもこだわる人でした。
今から思えばとても贅沢だったのかもしれないけれど、いつもクッキーやパウンドケーキがおやつだったし、できる限り手作りのもので私は育っています。



でもあの頃は、それが本当に嫌だったのです。
お友達が食べてるポテトチップスや、ファンタが飲みたかったの!
いやでも…忙しい人だったのに、いつそんな事をする時間があったのだろう。



* * * * * * * *



大人になったら、自分で買えるようになったら、全部買って食べよう!ってずっと思ってきたけど、大人になって初めてその有り難みが分かったのです。



母がどんな気持ちで、私達に食べさせてくれてたのか。
それなのに、私にはそれが分からなくて、料理を母から習わなかったのです。
あぁ、あのお出汁だけは教えて貰えば良かったなと。
後の祭りです。



【 おふくろの味 】っていいよね。
私は、隆真に何ものこせていないなぁ。
隆真が『 これは美味い 』って言ってくれるものを、作りたいなぁ。

お小遣い



心斎橋の交差点で信号待ちをしていた時の事。
後ろにいたサラリーマンの会話が聞こえてきた。


「 今日昼どうする?」

『 あっ、俺今日はやめとくわ。煙草買いたいから。』

「 そーなん? ほな、俺もコンビニでパン買うわ。」

『 最近残業少なくてさ、また小遣い減らされてん。』

「 えーマジで!めっちゃ厳しいんちゃうん?」

『そやで、月15,000円でやり繰りするん、めっちゃキツいって。弁当は無いしな。タバコやめたらえーねんて、嫁は言いよるし。それでも俺、釣り道具で欲しいのあるから、毎月貯めてんねん。』



あまりの衝撃的な話に、思わず私、えーーっ!と、振り返ってしまい(笑)向こうもびっくりしてえーっ!と目が合うという…ゴメンなさい。



それホンマの話?
1回か2回、呑みに行ったら終わりやんか。
今の20代とかの若い子ってそんな感じ?
夕方どうしても気になり、スタバでお茶しながら( サラリーマン 小遣い 平均 )と、ネットで検索。
ひゃぁ〜ホンマなんや〜



そう言えば、この前セルフのおうどん屋さんでも、同じような事があった。
私の前にいたスーツ姿の男の子。
「 かけうどんと白飯。」と注文。
オプションの天ぷらとかをかけうどんに載せるのねと思って何となく見ていたら、そのままスルーしてレジへ。
たしか500円でお釣りがあったと思う。



そして次の瞬間、おもむろにサービスの天かすとネギを、かけうどんと白飯の上にドサっとかけた!
そして次のコーナーの〈 天つゆ 〉と書かれたポットから、お出汁をたっぷりかけた!
〈 天かすうどん 〉と〈 天かす丼 〉の出来上がりだ!
もう、思わず実況中継してしまう(笑)



いやぁーすごいなと見ていたら、思わず目が合う。
めっちゃイケメンやないの! でも男前やから見てたんちゃうのよ(笑)ニコッと笑顔を返してくれたけど〜何となくバツが悪そうな感じ。
うんうん、色々あるよね。
もうね海老天ひとつそっと載せてあげたかったわ(笑)



私もね、若い頃お金無いの経験してるけどね、本当にすごいなと思ったの。
私の場合とまた違うんだけどね(笑)でもこれが現状なんだと思って色々考えさせられたのです。



若い時ってお金無いよね。
でもね、自分の旦那が外でこんな感じで過ごしてたら、嫌だなぁと思っちゃったのね。
お勤めやと、後輩とかと居酒屋とか行ったりするでしょ、その時にご馳走してあげれないとかね、私が嫌やなと思ったの。



これは性格もあるのかもしれないけど、私は
【 1万円節約するより、1万円どうしたら稼げるか 】
って考える方だからかもしれないけどね。



これからは、副業もして良いと言う会社が増えてきたし、ネットとかあるし、大金は難しくても自分のお小遣い位は、別で稼げる時代でもあるでしょう?
給料が安いと嘆くよりも、他の手段を考えないとね。



だから、そういうのはやはり勉強すべきだなぁと思うのよね。

これは、あくまでも私の感覚なんだけど(笑)

幸せな事


昨日10年振りの友人からメールが届いた。

『 ゆんちゃん、元気ですか? あの時はごめんね。その後どうしてますか?』

メールを読みながら、その当時の事を思い出していた。
懐かしいなぁ…連絡しなくなってもうそんなに経つんだなぁと。



あの時も久しぶりに会って食事をして、彼女の近況を聞いてたんだよね。
お姑さんと上手くいかず、ご主人にも若い彼女がいて、子供は言う事を聞かないしと散々愚痴を聞いてね。



『 とにかくさ、ちょっと自分自身を解放してあげたら? エステしたり旅行したりしてきたら? せっかくの別嬪が台無しやん。言いたい事は分かったから。』



たしか、私もこんな事を言ったんだと思う。



「 ゆんちゃんてさ、苦労なんてひとつもしてきてへんやん? いつも笑顔で楽しそうやしさ。結婚しても、良い旦那さんやし。いつも何事もない顔してさ。宝石の会社するとかさ、ネイルも始めたんやって? そんな人には、何も分からんと思うわ! 」



20代の私の一番大変でしんどかった時を、彼女は一切知らない。



「 ゆんちゃんな、学生の時から何も変わってないやん。のほほんと生きてきてさ。」



いいよいいよ(笑)聞くよ聞く。何とでもどうぞ。



「 皆んな、結婚して家庭に入って、子供も出来たらな、ゆんちゃんみたいに好きな事ばっかりできひんねんで。料理もした事ない手してさ。生活感とか手を見たら分かるんやで。」



話の矛先が、いつしか私の話になって。
まぁ、こんな感じの事を散々言われたのです(笑)



私その時にね、嬉しくて泣きそうになったのよ。
腹が立つとか、私の事知らんくせにとか、そんな事どうでもよくってね。



『 あれ? そうなん? ホンマに? それやったら良かった! 教えてくれて、ありがとう! 』って。




私がどんな思いして生きてきたか、どんな事今までしてきたかとかね、そんな事もうどうでもいいのよ。
苦労とかやつれてるとか大変そうとか、それが私出てなくて良かった!って。
心の中でガッツポーズしたからね(笑)



そうやね。あなたの言う通りかもしれないわ。
私はどんな時でも、好きに生きてきたからね。
私は本当に幸せなんだと思うわ。




もうね、何も彼女に話せる事はないなと思ったの。

『 ごめんね、私には理解してあげられなくて。』

あの時、そう言って別れてから、10数年ぶりのメールなのでした。




来週久しぶりの再会。
その時はまた、私に何て言ってくれるんだろう(笑)

劇的な出逢い


昨日のお客様。39歳 独身女性。
匿名で許可が降りたので(笑)その会話をほんの少し。


最近blogを見てくれてるそうで(笑)
由美ちゃんがもうずっと言ってる事ばっかりやねって。
えーっ!分かってくれた?(笑)いつも言うてる事よ。
もう、二年越しやけど?!私、一生懸命貴女に伝えたいんだけど!


いつも、この方にお小言のように伝えてる事(笑)


『 そんな劇的な出逢いなんてそうそうないから!笑 』


ってか、そもそも。劇的な事が起こるような毎日を生きてますか?と聞いてみた。
いやほんとに、そもそも劇的な感じってどんなんよ?って、2人とも爆笑。



『 ドラマみたいなんて、私も憧れるけどね(笑)
普通は、そうそうないのよね〜
付き合いだしたら、嫌でも色々あるやん。
だから、出逢いなんて簡単でいいと思う。
縁があれば、とか言うけどね、縁なんて勝手に向こうから歩いて来ないからね!
赤い糸とかさ、そんなん自分で赤い糸にして繋ぐ位の気持ちないと(笑)』



もしかしたらね、あの時に声を掛けなければ、すれ違ってたかもしれないような『縁』が、奇跡みたいにつながってその後随分経ってから、あれは劇的だったって言うのかもしれないね。



普通の何気ない出逢いを、後で振り返った時に気付くんだよ。それにね、劇的なものだったんだに変えるのは、神様でも誰でもなく、自分自身なんだと思うよ。



あの時に見落とさないで、ちゃんと出逢えて良かったって。何気ない毎日の中で、たくさんたくさんすれ違ってる事ってあると思うよ。



* * * * * * *



『 どうして、その旅行に行かなかったのよ! せっかく誘ってもらったのに!私だったら、その場で行くって言うわ。』

「 いや、だってさ私39やし。まだ男の人と旅行なんてした事ないし。結婚もしてないのにいいのかなって。どうしようって母に電話しようかと思ってて。」

『 あんな、もう幾つやと思ってるん?誰に許可もらうん? もうな…重症やわ(笑)』


旅行に行ってたら、そこからたくさんの世界が広がっただろうに。
私さ、一応 珠石とか扱っててさ。これはこんな意味合いがあってとか、こんな波動がとか、たくさん話してたりするわけよ。(笑)


だから、こんなん言うたら元も子もないんだけどね、ブレス着けててもね、本人が何もしなければ何もおきないんだよ。


依存したらあかんの。他力本願もあかんのよ。神さんはね、自分で何とかしようと努力してる人は見放さへんのよ。だから、奇跡みたいな事がおこるのよ。



あのさ、これほんまに紙に書いて。

『 劇的な出逢いではなく、すぐ近くにある出逢いを全部拾う事』