yumi-fields

日々感じること。心のままに。 私の病気の事、仕事やプライベート、心の中の事をありのままに。

愛情ブレス

もうかれこれ5年位のお付き合いのお客様から嬉しいLINE


『由美さん、彼氏が出来ました!今一緒に住んでるの!秋には結婚する事になりました!凄すぎない?!ありがとう〜』


全然凄すぎないよ!(笑)
Kちゃんが行動したからなの。今まではしていなかった事を頑張ったからなのよ。
ちょっとだけ、でも大きな一歩を踏み出した結果なんだから!石はKちゃんを後押ししただけです。



* * * * *



『婚活ブレス作って!もう仕事は順調だし、次は愛情やわ!ってかもう37やのに、じわじわ実感してきた!結婚したい!』

『やっと本気になったんや(笑)あのね、ピンクのブレスしたからってね、Kちゃんのタイプの人がある日突然やって来るってことはないからね。』



そんな会話をしながら繋いだ一本のブレス。私はいつもテーマを決めて作ります。愛情と勝負や仕事のエネルギーとはそれぞれ違うので、あれもこれもと混ぜ過ぎずで繋ぎます。女性性のエネルギーを中心に、魅力、内面の美しさを引き出してくれる石をチョイスします。


私がいつも石を繋ぎながらお話するのは、石に依存し過ぎないって事です。
あくまでも、行動するのはその人であって、石が色々してくれる訳ではないのです。持ち主と波動があってきた時に、色んな気付きがあります。それをスルーしないでちゃんと掴むのです。


毎日毎日仕事が忙しく会社と家の往復で、休みは疲れて一日中寝てる。そんな人に彼氏は出来ません。ブレスを着けてたって、出来っこないのです。


行動をおこした時に、必ず流れは変わります


仕事の帰りに、ちょっと寄り道してカフェでお茶して帰ろう。とか、今日は映画を観よう。とか、いつものパターンを少し変えてみるのです。そうすると、いつもと違う時間が流れ出すのです。
いつもは見ない雑誌の一コマからとか、その時に流れている音楽からだとか、今日会った人の言ったさり気ない言葉だったり、そんな些細な事から、何かが動き出すのです。



石との波動が合った時に、愛情石は穏やかなエネルギーなので、持ち主も穏やかなものに満たされます。女性性に満ちると、表情が優しくなったり、話し方や声のトーンも変わります。あれ?いつもは声のかけ難い人だと思ってたけど、ランチに誘ってみよう。と声を掛けられる。それが流れなのです。そこで、結構ですと断ってはいけません(笑)そういう流れがきた時に掴む掴まないも、石ではなく持ち主なのですから。



そうやって、日々の小さな小さな変化をちゃんと意識した時に、やがて色んなチャンスが巡ってくるのです。
今まではシャットアウトしてたもの、私には関係ないと思ってたもの。全てトライです。



この石のお陰だわ。と思う心は大切です。そういったお陰様という感謝のエネルギーが色んな嬉しい事を引き寄せるからです。
ただ、あくまでも石はパートナーであり、依存するのとは違います。


石を持つとその波動、波長を持ち主も拾って、その日の気分も変わり、行動も変わって来るのです。
ある日突然、石がなんでもしてくれる訳ではないのです。



うちの石も良いけどね、Kちゃんが一番偉かったのだよと伝えたら、そかな?って照れた表情が前にも増して、可愛いし素敵になっているのです。
これなんですよね、これ!この変化なのです。
ブレスレッドはちょっとしたきっかけなんです。そのきっかけをきちんと受け止めて、きちんと行動しただけなのです。
内面から醸し出される自信とエネルギーが一年前とは全く違っていたのでした。


目に視えない世界

私はもの心ついた頃から、鑑定師やカウンセラー、霊能者と呼ばれる方がいつも周りにいました。何なんだろう?深く考えた事はありませんでしたが、縁なのでしょうか。


私自身、何かが視える訳ではないのですが、なぜかいつもスピリチャルな世界が普通に身近にあったのです。
面白い世界だなとのめり込んだ時期もありました。あの頃、先生と呼ばれる人の横で色んな事を見ていたので、信じるとか信じないとかではなく、視えない世界に関して当たり前のように、あると信じていました。
今でももちろんあると思っています。
不思議だなぁと思うけど、そうでないと説明のつかない事があまりにも多いのです。



友人にも面白い人が何人もいます。
一緒に歩いていると、急に立ち止まって話し出したり。誰と喋ってるんだろう?とか。それ何語??とか(笑)
宇宙と繋がっている人の話は面白いですよ。


そんな能力を持っている人皆が言うには、ラジオの周波数を合わせるようなものだと。電波って見えないじゃないですか?でも確実にあるもの。そして、周波数がピタッと合うと、鮮明に聞こえたり見えたり。ラジオみたいなものだって。



小さい頃は、自分の視えている世界が普通で、皆んなには見えないし聞こえないんだと気づくまでに時間がかかったとか。
それを大人になるにつれ、コントロールできるようになるのだと。
若い頃は、油断したら急にあちらの世界の人に話しかけられたり、色んなものが視えたりしたそうです(笑)
その世界は時間の感覚が無く、過去も現在も未来も同じなんだと。縦に並んでるのではなく、横並びである感じ?だそうです。




* * * * * *




『この子はすごい眼を持ってる。何もかも視えてる眼やな。大きなエネルギーの塊や。面白い子を産んだなぁ』

幼少の頃に公園で弟と遊んでいると、年配のおばさんが近づいて来て、私の顔を覗き込んでそう言ったそうです。後に母はその人が霊能者だと知ります。


母からその話を聞いたのは20歳を過ぎてからでしたが、何で今まで黙ってたの?と聞くと、そんなものが自分の子にあるのは嫌だったんだと(笑)だからあの時の事は封印してたんだと。私があまりにもそういう世界の人と親しくなるので、やっぱりと諦めたそうです。
あのね、うちの母は神主の娘なんですよ(笑)
いやいや、神社の中で育って、親が神主で、一番そういう世界を信じてていい人なんじゃないの?と(笑)



という訳で、小さい頃からお寺よりも神社との縁が深かったのです。
神社に行くとスッキリするというか、落ち着くというか。色んな感覚が研ぎ澄まされる感じがします。
私は声が聞こえたり、霊が視えたりはしませんが、自分でも超感覚はあると思っています。
直感のもう少し鋭い感覚…



『目に見えない世界』は確実に存在していると私は思いますが、やはり一番大切だと感じるのは、私達はリアルな現実を生きているという事です。
だから、そういう世界に依存し過ぎない事だと思うのです。


そんな風な考え方をしている私が、石を扱う仕事をしている。おかしな話ですが、私はいつもお客様に石に依存しすぎないようにと話をします。

この続きはまた明日…





宿命と運命

宿る命と書いて『宿命』 運ぶ命と書いて『運命』


宿命とは、生まれる前から予め決まっている事だといいます。例えば、何処の国の何人として、いつの時代の、何月何日に生まれ落ちるかという事。性別やどの両親からという自分の環境も含めてです。
宿命は生まれた時から人生を終える時まで、自分では変えることの出来ないものです。


そして、運命とは自分の日々の選択で、切り開いていけるものです。
昼ごはんに何を食べるかの小さな選択から、人生を左右する選択まで、私達が毎日その瞬間瞬間に選択して来た事の積み重ねが、人生を決めて行くのでしょう。
どの学校に通い、何の勉強をし、何を仕事にするのか。
どんな異性と出会い、結婚するのかしないのか。
これは予め決まっている事ではなく、自分自身の選択の結果だと言えます。



* * * * * *



私も何度も壁にぶつかった事がありますが、その時に学んだ事があります。
『どの道を選んでも、どうしても逃げられない試練のようなものがあるんだな』と。これは宿命です。
生まれる時に、予め自分の魂の成長の為に設定された事柄なのです。その中で何を思い、自分自身で選択し切り開いて行くか、逆に逃げて諦める選択をするか、それが先の運命を決めるのです。



この道を選べばラッキーばかりで何の苦労もなく良い事ばかり!は全く以ってそんな道はありません。どちらの道を通っても、その課題には必ずぶつかるように仕組まれているのです。その人が今世で学ぶべき課題であれば、必ずやって来ます。それは、運が良いとか悪いとかではなく、自分が成長する為の学びなのだと思います。



そうやって、予め仕組んだ課題を1つ1つ乗り越えて行く事で、人は皆、経験値を上げます。ここで逃げた場合は、また何処かで必ずこの課題が追っかけてきます。
これは、私が実感した事です。逃げずに受け入れて、ちゃんと痛い目もしてクリアする事なのです。




似た様な宿命であっても、コツコツと日々努力を積み重ねてきた人生と、いつも楽な道を選び嫌な事から逃げてばかりでサボって生きて来た人生とでは、スタート時は変わらなくても最終的に大きな差が開くのでしょう。



私は占い師でもカウンセラーでもありませんが、相談を受ける機会がよくあります。
仕事柄、気学や風水等、縁あって勉強してきましたが、鑑定はしていません。あくまで自分自身の経験したリアルなお話しをしています。


母の一周忌に

昨年、母が他界して、もうすぐ一年が経ちます。
今日は実家に親族が集まり、一周忌です。
早いなぁ。もう一年か。



膵臓癌でした。
手術をしても全部取りきれずで、二年間 入退院を繰り返していました。
昨年のお正月に緊急入院をして、あぁもう長くないなと家族皆が覚悟をした時、『お家に帰りたいなぁ』と母がポツリと言うのです。わぁ〜っと涙が込み上げて来て『そやね、帰ろうか。ママは家が好きやもんね。うん、帰ろう。数値が落ち着いたら、先生にお願いして、お家に帰ろう』溢れる涙を母に見られないように言うのが精一杯でした。



『帰ってこれて嬉しい。夕焼けが綺麗。ありがとう。』
数日後に退院し、家に戻った母は自分のベッドから外を眺めて嬉しそうでした。私はその時の母の顔を一生忘れないと思う。あんなに幸せそうな穏やかな母の顔を。



主治医の先生には、家に帰っても二、三日かもしれません。と念を押されたけど、母はひと月頑張りました。
私も仕事をお休みさせてもらい、母の看護ができました。義妹も嫌な顔をせず、私と一緒に看護をしてくれました。
主人も私が家にいない分、子供の世話や家事も含め、仕事はもちろん本当に助けてもらいました。隆ちゃん、ありがとう。本当に感謝してます。
家族全員が毎日母のまわりに居ました。弟も毎日会社の帰りに、母の食べたい物を買って来ました。母のリクエストもびっくりするような物でも、探して買って来ていました。ほんのひとかけらを口にするのが精一杯だったのですが。



『最高の看護をしてもらってる。私は贅沢やわ。』



母が亡くなってもちろん悲しいのですが、それよりもある種の達成感みたいなものが家族皆にあったと思います。母が言ってくれた言葉が、心の深い所に今もちゃんとあります。
最後まで精一杯、母もそして看護する家族も頑張った。悔いはないです。



お葬式も家族葬でした。
『家族だけでしてほしい。友達には全てが終わって落ち着いたら知らせて。死に顔はお互い見せずに逝こうって約束してるから』母の生前の意向でした。
母の大好きな真っ赤なジャケットを着せて、真っ赤なネイルにしました。お気に入りのイヤリングをつけ、お化粧も私がしました。




『ママ、皆んな幸せに生活してるよ。家族皆、仲良くしてる大丈夫。ちゃんと見守っててよ!』

パワーストーン

ところで私は、元々ジュエリーを扱うのがスタートでしたが、10年程前からパワーストーンも扱うようになりました。
きっかけは、あるお客様から、本物の水晶が欲しいとオーダーを受けたのが始まりです。



元々、宝石の仕入れしかした事がなかったので、パワーストーンと呼ばれる天然石を見に行ってもしっくり来ないのです。
なんじゃこれ?!安もん嫌い!(笑)な訳です。



ジュエリーとパワーストーンでは同じ石でも、全く違うんですよね。仕入れルートも違う。
だから、こだわりというか少々高くても綺麗な石ばかり買ってました。後は本当の天然石だけ扱おうって決めたんです。人工石はやめておこうって。着色したものも買いません。
仕入れに行っても、納得いかない時は買いません。
仕入れは全て最高ランクですとは言いませんが。
たまにね目の合う石があってね、ブサ可愛っていうんでしょうか。
そんな子は、愛嬌あって好きなので即買いです(笑)



まだ世間ではパワーストーンて何ぞや?って感じで、もれなく私も詳しくは知りませんでした。でも知れば知るほど、石の魅力にハマっていきます。
考えてみれば、石は古代からずっと身近な存在だったのです。
装飾よりも護符(御守り)として身につけられていました。
急に発見されたように多くの人が付け始めましたが、本当は流行り廃りもないんですよね。




* * * * * *



石はそれぞれのエネルギーがあります。
波動、波長と言えば分かり易いのかな。
えっ?逆に分かりにくい??(笑)

簡単に言うと、パッと会った時にこの人とは仲良くなれそう〜とか、話が合うなぁとか、そんな時波長が合うっていうでしょう。それです。
石との出会いもそうです。なんか惹かれるなぁというのは、その時の自分の波長とその石とが合うからです。



人とも相性があるように、石とも相性があります。
だから、お客様にはあまり石の説明書を見せずに直感で選んでもらいます。
この直感てね、めちゃくちゃ大事だと思っています。



持ち主との波動が合った時に、何だか分からない見えないものが動きます。必ず流れが変わります。




新月と満月は、地球と太陽と月が一直線に並ぶ時。
干潮と満潮があるように、地球が引っ張られてるので、鉱物もかなりの影響を受けるのです。
人間も知らず知らずに、かなり影響を受けてます。特に女性は毎月、月経があります。読んで字の如く、です。
石については、これからたくさん書きたいと思っています。



ところで…パワーストーン…なんかもっとしっくりくるネーミング無いかなぁ〜(笑)
ヒーリングストーン?…う〜ん。。。




続きのまた続き(笑)

もうね、お金が無いってね、笑えなかった。
でも、財布に3,000円しか入ってないとネガティヴに思うか、3,000円も入ってる!何とかなる!とポジティブに思うかは、自分次第。うつむいていても、現状は何も変わらないのです(笑)
かなりあの頃に鍛えられたと思います。心がね。
私今でも500円玉あったら充分4、5日過ごせます(笑)



いつもいつも不足感いっぱいで生活していると、心が病んでくるのです。
私の安い稼ぎだけでは家族が生活するのなんて到底無理だった。あの頃はホステスのバイトもしてました。




とにかく稼がねば、親の為にも稼がねば。きっといつもそんな事を考えてたと思う。ブランド物が欲しいとか、海外旅行に行きたいとかそんな次元ではなく、ただただ心穏やかに安定した生活を送る為にも稼ぎたかったのです。



* * * * * *




そんな私に落とし穴です。30手前で詐欺にあいます。
話せば長くなるので、またの機会に書こうと思いますが、新聞にも載った詐欺事件に巻き込まれたのです。
お金だけで言えば1,000万円以上を騙し取られました。貯金なんてありませんから、ほぼ全て借金です。
あの時は大変やったなと今は笑い話にしてますが、当時はどうやってこれから生きていこうかと途方に暮れました。



お金はね、朝昼晩働いたら何とかなるんです。でもね、その時に失ったものはお金だけではなく、自分がコツコツ積み上げてきたものだったり人だったりを全て無くしたんです。これが一番辛かった。



笑い飛ばせるようになった今でも、思い出すと心をキュッと掴まれたようになります。



お金は大事です。とても大事。
でも、お金が目的になってはダメだなと学びました。
高すぎる授業料でしたが。
お金は無いよりあった方がいい。当たり前だけど。
でもあくまでもお金は、何かを成すための手段として必要なものなんだなと。



私の20代に学んだ事、まだまだありますが(笑)
とにかく、ネガティヴなマイナスな事から散々学んだのです。これでもかこれでもかって。
つくづく思うけど、人ってね、悪い時の方が学ぶし、確実に鍛えられるんです。



そうやって、頑なにお金を稼ぐ事に執着していた私は、30代に入って少しずつ雪解けのように、考え方が変わっていきました。
もしかしたら、変わったというより、本来の自分に戻れたのかもしれません。



自己紹介の続き

ところで、先日のブログでちらっと話した事。

『人生はお金じゃないけど、世の中はお金や!』

私これ、本気で思ってました。
世の中のほとんどの事はお金で解決出来るって。
愛もお金で買える!ってそこまでは思ってませんでしたが、とにかくお金を稼ぐ事で大概のことは何とかなるのだと信じてきました。


20歳で社会にでて、めちくちゃ仕事頑張ってました。
基本給が当時の短大卒で137,000円。
仕事は楽しかったのですが、私のしたい生活や欲しい物は、全くもってこの枠内では収まらず。それでも毎日遅くまで黙々と働いていました。


そして、25歳になる年に阪神淡路大震災がおこります。
私はこの年に人生観が変わるような出来事をたくさん経験したのです。
それまでの全てが一変するような一年がくるだなんて思ってもみませんでした。



* * * * * *



私は特に裕福な家庭で育ってきたわけではないのですが、父が会社を経営していた事もあり、のほほんとした学生時代を過ごしてきました。
東京の表参道近くと札幌にも父のオフィスがあったので、休みになると出掛けては楽しい学生生活でした。



震災の年の3月、父の会社が連鎖倒産にあいます。
ある日突然「来月 不渡りになる」と父から聞かされたのです。
そしてその騒動の最中に結婚すると思っていた彼氏に突然フラれ、本当に散々な年のスタートでした。



父は取引先やあちこちの残務処理に追われ飛び回っている最中に、高速道路で事故をおこします。
しかも6月と9月と続けて2回もの大事故です。
何も巻き込まずの自損事故でしたが、車は大破。ぐちゃぐちゃになった車を見た時、あぁ無理だなと。
母と病室に駆け込み、包帯ぐるぐる巻きの父を見て、よく生きてたなと呆然としたのを今でも覚えています。


しかも秋の事故は私の車でした。
買ってまだ一年も経たないのに。ローンもまだまだ残ってるのに。高速道路を走行中、ブレーキが突然効かなくなったと言うのです。しかも、一度めの事故とほぼ同じ場所で。これ笑えない話です。
私は父の心配よりも車が無くなってしまった事の方がショックでした。


『何億も借金が出来て、何もかも無くして…もうこの際パパが死んだら保険金でチャラになるのに』
そう、ふと思った瞬間がありました。
もうね、心がボロボロだったんです。
優しい自分でいられないくらい、次々とおこる災難に、心がついていかなかった。


後で振り返った時に、あぁあの時はとんでもない事を思ったし言っちゃったし、馬鹿な娘だったぁと思う。
家族が大変な時に、自分の事ばかりしか考えてなかったなと。皆んな辛かったのに。



言葉にすると、とても簡単で軽くなるのですが、実際は一つ一つが大変で辛く言葉にできない日々が続きました。



あの当時、お金って何だろうって毎日考えたんです。
学生の頃はお金の事なんて全く考えてなかった。
必要なものは何でも買ってもらえてたし、たぶんお小遣いもたくさん貰ってた方だと思います。
何もかも無くした時に、あれ?お金がないってこんな思いをするんだと、色んなシーンで感じたのです。
お金をもっともっと稼ぐにはどうしたらいい?
こんなお給料では足りないんだよなぁ。


「やっぱり世の中はお金だ!とにかくお金が要る!稼がなくては!」と、全てはお金で解決できると思い込んだのです。