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日々感じること。心のままに。 私の病気の事、仕事やプライベート、心の中の事をありのままに。

お裾分け

 

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私には仲良しの曾祖母がいた。父方の曾祖母。

今同居している祖母の、姑にあたる。

私はこの曾祖母の初曾孫で、本当に可愛がって貰った。

私が中学生の時、92歳で亡くなったのだけどね。

小さい頃、田舎に帰る度に、この曾祖母からたくさんの

事を学んだ。山や田んぼや畑で。大自然の中で。

 

 

ところで私は、頂き物を良くする。

これ持って帰り〜とか、これ美味しいから食べ、とか。

いつも何かしら、頂き物をして帰ってくる事が多い。

食べる物が多いのね。野菜や果物。お菓子やお酒(笑)

私自身も、美味しいものや大好きな物を人に贈るのが

好きなのだけどね(笑)

 

 

そしてたくさん頂いた時は、ご近所や友達にお裾分けを

するようにしている。

美味しいものを美味しい間に、自分達だけでは食べきれ

ないくらい頂いた時に。お裾分け。

 

 

このお裾分けも、小さい頃に曾祖母から聞いた話でね。

畑の中で柿の木を見上げながら、話をした記憶がある。

『 お婆ちゃん、どしてまだあそこに柿がなってるのに

全部採らないの?』

「 あれは鳥や動物達の分。皆んなにお裾分けや。」

 

 

そういえば、祖父が育てていた栗も、葡萄も。

果実を全て収穫せずに、いつも少し残してあった。

あれは鳥さんの分。自分達だけで全部採ってはいけない

私は小さい頃からそうする事が当たり前として育った。

 

 

 

お中元やお歳暮の時期なんかはたくさん頂き物をする。

無理に配り歩く必要は無いのだけれど、たくさんの時は

『 美味しいものは皆んなで。』とつい思ってしまう。

わざわざ買ってまでではなく、少しお裾分けをする事

で、何となくご近所との繋がりもできたりして日頃の

お付き合いも、円滑に行くような気がする。

 

 

 

【 お裾分け 】とは本来、語源を知ったらし難い事ね。

目上の人には使ってはいけない。上から目下に的な?

でも、現代では他人から頂いた物を友人や知り合いなど

「みんなに分ける」という意味で使われる事が多いね。

 

 

ちょっとした頂き物をした時に、もらったときの嬉しい

気持ちも含めて、親しい間柄の人に分けるというのが

現在の「お裾分け」なのだと思う。

 

 

『 たくさん頂き物をして食べきれないので、皆さん

で、召し上がって頂けると、とても助かります。』

『 もしよかったら、おひとついかがですか?』

分け与えるという上からの表現ではなく、受け取って

もらうという表現にすると、相手も恐縮せずでいいね。

日本人特有の謙虚さとか、そんな感じがするのだけど。

 

 

曾祖母から教わった話を思い出しながら、そうやって

『 全部採ってしまうのではなく、お裾分け。』

自然の中でのそうした連鎖は、どんな事柄にも繋がる。

大きな事でなく。ちょっとした日頃の心配りや気遣い。

そんな幸せの連鎖がね、広がるといいなぁと思うのね。

 


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