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日々感じること。心のままに。 私の病気の事、仕事やプライベート、心の中の事をありのままに。

祖母の事

 

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私の父方の祖母のこと。今、同居してる祖母ね。

いつもは面白おかしくね、お婆め!って言うてるんだけど(笑)

今日は、この祖母の事をちゃんと書いておこうと思う。

最近ね、祖母の顔が穏やかになってきたと思うのね。

正確にはね、私を見る祖母の顔が。かな(笑)

 

 

この春から、私の父と、この祖母との同居生活がスタートして、丸3ヶ月が経った。

子供の春休み中に、実家に私達が入る形で引っ越して。

ドタバタと紆余曲折ありながら、何とか最近は生活も落ち着いてきた。

家族5人、仲良くやってる。……と思う(笑)

 

 

祖母はね、ずっと私の事が嫌いだったのだと思う。

私は祖母にとっては、初孫なんだけどね。

どんどん母に似てくる私が本当に嫌だったのだと思う。

 

 

父は三人兄弟の長男で、大阪の大学に通うために田舎から出てきた。

父が大学3回生の時に、デザイナーをしていた母と出会い、恋に落ちる。

その時、母30歳。オールドミスと言われた時代。

母は父よりも、9歳年上だった。

 

 

大学を卒業するや否や、まだ就職も決まってない時に

この人と結婚するんだと、母を田舎に連れて行く。

もちろん田舎中の噂になり、祖母もちろん激怒。

そんな女と結婚する位なら、私は死ぬと泣いたらしい。

 

 

『 死にたいんやったら死んだらええ!僕はこの人と結婚する!』

父は祖母に笑いながら、そう言い放ったらしい。

祖母、崩れるように号泣……。(笑)そらそうだ。

よりによって、なんでこんな女と! (笑)ほんまによ。

 

 

当時の写真を見たら、超ミニのワンピースに編み上げの

ブーツ履いて、茶髪のボブカットの母。

その横にはVネックのセーターのおぼこい父。

超アンバランスで、ほんとに笑える(笑)

 

 

出来ちゃった結婚と言うわけではなく。

大反対の中、それでも結婚して。翌年私が産まれた。

祖母は母の事が嫌いと言うよりも。

その当時、心から恨んでたんだと思う(笑)

 

 

その後は、もちろん憎しみ合っていたわけではなく。

私達も可愛がってもらったし、楽しい思い出しかない。

ただね、母が2年前に亡くなった時、祖母が田舎に帰ら

なかったのはやっと父を独り占め出来たからだと思う。

 

 

この春私達が同居するまでの2年間、祖母と父は、母子

というより、まるで恋人同士の様に仲良く一緒にいた。

父もね、これまで散々親不孝してきたから、これからは

今までの分もたくさん親孝行するんだと笑ってた。

 

 

やっと父と二人の楽しい生活に慣れた頃に、私達とも

同居(笑)そら、色々あるよね〜〜

家事や食事をしてくれるのは嬉しくても、気分的には

邪魔なんだろうなと思う(笑)

祖母の言葉の端々からそれを感じていたし思う事多々。

 

 

 

それでもね、私は毎朝おはようの時に祖母の手を握る。

『 おばあちゃん、おはよう。体調どう?眠れた?

すぐに朝ご飯するから、待っててね。』

手を握って、熱がないか体温を確認する。

今日まで欠かしたことはない。毎日。家族だからね。

嫌ごと言われた次の日も、必ずそうしてきた。

顔見たくないくらい、わがまま言われた次の日も。

行ってきます。ただいま。私は必ず祖母の手を握る。

 

 

そして私の作る料理を最近は美味しいと食べてくれる。

こんなもん要らんと言わなくなった。

『 由美、身体はどうや?大丈夫か?』

二人の時、そんな事までも言ってくれるようになった。

 

 

この前なんか、ただいま〜おばあちゃん、お腹空いた?

ちょっと待っててね〜って、言ってたらね。

『 由美は、頑張ってたんやなぁ。頑張り過ぎなや。』

って言うの。

なになになに?(笑)どしたん?って祖母の顔見たら。

その時ね、私の顔をじっと見つめる祖母をみて。

あぁ……やっと分かってくれたんだなぁって。

 

 

昔の事を思い出してたの。

祖母が私の事を嫌いだった頃の事をね(笑)

私がまだ独身の頃、がむしゃらに働いてた頃にね。

祖母が私に物凄く怖い顔して言った事があってね。

『 由美。自分ばっかり良い目してたらあかんで。』

最初は、何を言われたのか分からなくて。

私だけ良い目?って?今、言われた??

その場に立ち竦んで、悲しくて何も言えなかったの。

 

 

父の会社がダメになって。私自身も大変な時期。

毎日毎日、一生懸命に仕事してた頃の事。

私は祖母に何も相談しなかったし、どれだけ大変でも

いつも笑顔で頑張ってた。

やつれてはいけないと、身なりもちゃんとしていたし

爪の先まで綺麗にって、いつも気を使ってた。

 

 

財布の中に、お金なんか入ってなくても、そんな顔見せた事なかった。

だって心配かけたくなかった。

それでも、いつも田舎からの帰り道は悲しかった。

でも、泣くときはいつも一人になってからと決めてた。

 

 

だからね、自分の孫があの頃はどんな思いでいてるか

なんて、知る由もなかったのだと思うのね。

だから、父が大変なのに、お前はチャラチャラと笑って

親が大変な思いしてる時に、もっと親を大切にせんか!

みたいな事を言われたの。

 

 

何十年も経ってから。その時の事を祖母も思い出したの

だと思う。私の日々の生活を見ていて、やっと気づいて

あれは違ったんだって。

分かってくれたんだと思うのね。

 

 

その言葉だけで、私は充分やわ。

明日からも、朝昼晩、手を握るから。

お口に合うような食事も、なるべく頑張って作るね。

色々あるけど、家族なんやから。

おばぁちゃま。これからも楽しくやってこね。

 

 

 


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