yumi-fields

日々感じること。心のままに。 私の病気の事、仕事やプライベート、心の中の事をありのままに。

偽善


昨日も最初に少し書いたのだけどね。
1995年、この年は私自身とても辛い事の連続だった。
毎年この時期になると、いつもリアルに思い出す事。
もう少しだけ書いておこうと思う。



1月の震災の後、2月に父の会社が実質倒産した。
3月には結婚するはずだった彼に突然フラれた。
言い出せばキリがない位。
これでもかこれでもかと言う位にね。
散々な事が立て続けに起こった年だった。



そんな中、私は休みの日にはボランティアに出掛けていたのだけど。
その時にね、ずっと心の中にあった事。
自分で気付いていた、正直な心の中の事。
私が被災地に行ってたのは、自分のおかれた現実から
逃げたかったんだって。



被災地に行けば、私よりもっと辛い状況の人がたくさんいて。
何もかもを無くした人々を見て、私は自分を慰めていた
のかもしれないなって。
だとすれば、私のしている事は『 偽善 』だ。
『 私は偽善者だ 』と、あの頃はいつも思っていた。
純粋な気持ちではなかった。それでも被災地に行った。
活動している時は無心になれたから。




だから私が被災地に行ってた事は誰にも言わなかった。
何年もして、その時の気持ちを正直に話した時に、
友人に言われた言葉で少し救われた。



『 そっか。【 偽善 】か。それでも無関心より
ずっといい。何もしないより、偽善だったとしてもした
方がいい。
だから、由美は自分をそんなに卑下しなくていい。』




*********************



現地では、色んな人からたくさん話を聞いた。
被災者の厳しい現状を目の当たりにして、辛いとか悲し
いとかそんな簡単な言葉では到底伝える事が出来ないよ
うな現実が、そこにはあった。



被災地に行く時、私は自分のおにぎりと水筒を必ず持参した。
ラーメン屋やお食事処がどうにか再開しだした頃
そこでお金を出して食事をした方が良いのではないか?
手持ち弁当より、現地にお金を落とす事を考えた方が?
こんな事してたら、真の復興はいつまでたっても無いな
と、日々色んな問題にぶち当たった。




復興、復興と言うけれど、なかなか難しかった。
お店を再開している横で、炊き出しや救援物資がタダで
貰えるのだから、タダで貰える方を人は選ぶ。
現地では矛盾する事がたくさんあった。




被災地には、ボランティア以外にも色んな人が来た。
倒壊寸前の建物の前で、記念撮影をしているカップル。
当時のニュースにもなった。
ただ、そんな腹立たしい人間達が、確実に現地にお金を
落としたのも事実だ。




冬の温泉地では、震災でたくさんのキャンセルが出て、
自粛ムードも高まり、観光客が激減したという。
そして生活苦から首を括った経営者もいたという。
方や、震災なんて対岸の火事、海外旅行やショッピング
で楽しんでる人達の映像も、日々普通に流れた。




そんなニュースを当時見ていて、思った。
自分には関係ないという人がいるから、世の中回るのか
もしれないな。って。
皆んなが嘆き悲しんで、全てに自粛ばかりになると、
経済はたちまちストップする。
そうしたら違う意味で、二次災害的な大変な事になる。




私が24歳で経験した事は、とてつもない学びになった。
それまでの思い込み、考え方を確実に変えた。
人はおかれた立場によってものの見方も感じ方も違う。
でも、そのおかれた立場で淡々とやっていくしかない。




もう二度と、あんな辛い思いはしたくないけれど…。
私にとって、たくさんの経験と学びの年になった。

私が見てきた事、経験した事は、これからも子供に
少しずつ伝えていきたいと思う。



あの震災で亡くなられた6435名の犠牲者の皆様。
心から、ご冥福をお祈り申し上げます。