yumi-fields

日々感じること。心のままに。 私の病気の事、仕事やプライベート、心の中の事をありのままに。

終戦の日に




とてもシンプルで絶妙なバランスの真赤な『 日の丸 』
私は日本の国旗が大好きです。
そして、私は愛国心て、とても大切な事だと思うのだけど、こんな話をすると、この言葉は少々違った意味合いに聞こえるようで。
…やはり私達には、戦争のイメージなんですよね。



今日は日本が戦争に負けた日。敗戦日。終戦記念日
どんな言葉が正しいのだろう。
昭和20年8月15日は長い長い戦争が終わった日。



私は戦争の話を亡き母からよく聞いていた。
終戦の時、母はまだ8歳で。それでも玉音放送天皇陛下の声を今でも覚えているとよく話していた。
意味はよくわからなかったけど、これで戦争が終わって、こんな生活からは解放されると思うと嬉しかったと言っていた。



母が昨年亡くなって、遺品整理をしてた時の事。
綺麗なお菓子の箱から、小学生らしき子供達からのお手紙やハガキがたくさん出てきた。
私ね、その場に座り込んでそれをひとつひとつ読んだのね。もうね、涙が溢れて止まらなかった。



「 〇〇さん、いつもお話を聞くのが楽しみにです。僕たちは戦争を知りません。〇〇さんが僕たちと同じくらいの年齢で経験した事を聞くことは、大切だなと思います。」


「 戦争は普通の心を無くすのですね。それはダメだと思いました。」


「 しょういだんが落ちてくる中、花火みたいでキレイねとお母さんに言ったら怒られたと言っていた話がいんしょうてきでした。」


「 防空ごうまで、何を思って走ったのですか?」


「 食べ物が無いのに、がまんしてたのはかわいそうだと思いました。戦争はしてはいけないと思います。」


私の知らない、母の一面が見えた気がした。
そうだ。母は、戦争の話の語り部の様な事をしていて、夏になると近くの小学校に呼ばれて、子供達に話をするのだと言っていた。体調の悪くなる前の年まで、続けてたのかな。



毎年、子供達からのお礼の手紙が来る度、嬉しくて大切にしていたんだろうと思う。
子供達がくれたであろう折り紙や、小さなメモまで丁寧に保管されていた。
『 この未来の子供達の為に、決してもう二度と、戦争を繰り返してはいけない。』
母の走り書きを見た時、私は声を上げて泣いた。



戦争については、色んな見方や考え方があると思う。
私も戦争に関する本を貪るように読んだ時期があった。
『領土問題』『天皇制度』『慰安婦問題』や『核』等
1冊読むと次々と読みたい本が出て来た。



ただ真実が知りたいと思った。
無関心ではいけないと思った。
戦争に対する私の考え方や思いは、我が子には必ず伝えておきたい事のひとつだ。
またタイミングをみて、きちんと話しておこうと思う。



そして母が生前、私にいつも言ったこと。

【 無知は罪やと言うけれど。知ろうとしない事はもっと罪やよ。世界の事を知る前に、まず日本の事を知りなさい。 】


玉音放送
玉音放送とは、天皇の肉声を放送することをいう。特に1945年8月15日正午に、日本で唯一の放送局だった社団法人NHKから放送された、昭和天皇による終戦詔書の音読放送を指すことが多く、本項ではこの放送について記述する。 …Wikipediaより