yumi-fields

日々感じること。心のままに。 私の病気の事、仕事やプライベート、心の中の事をありのままに。

母との確執 ②



もう一つ、母との間で決着のつかなかった話があって。
今日もそのまま書いちゃおうと思う。
きっと、これで心のモヤモヤはスッキリするかな。



夏の季節になると、戦争のテレビ番組が増えるでしょ。
亡き母は昭和12年の戦時中に生まれている。
母もまた、当時の事を思い出して、話をよくしてた。
神主の家に育った彼女は、幼い頃は何不自由ない生活をしていたのだけど、敗戦と同時に家も財産も全てを無くしたのです。



戦後、戦地から栄養失調で帰ってきた兄と、病気の両親を続けて看取った母は、その頃どんな思いで生きて来たんだろうと思う。想像するだけで辛かったと思う。
その頃の母に会えたら抱きしめてあげたいと思う。



『 由美は戦争というものを知らないからね。』
と、そんな話になるとこう言われた。
『 ママは、アメリカ兵のくれるおかしは一切食べなかった。他の子供達がチョコレートとかビスケットを貰いに、ジープが来ると群がってたけど、私は絶対に行かなかった。』といつも聞かされた。
食料がなくて、いつも皆んなひもじい思いをしてた事。
農家に行き、着物とサツマイモを交換してもらった事。
当時の大変な話を、私は散々聞いた。



『 私がもし戦時中に生まれて、女学生とかもう大人だったとしたら、身体を張って生きたと思う。』


私のこの一言から、母とすごい言い合いになったの。


『 もし食料が無くて、家族が飢えてたら、私はきっと身体を売ってでも、お米を持って帰って来たと思う。』


あの時、一瞬にして母の顔色が変わったのが分かった。
そして、私をジッと見つめながら母が言ったの。


「 そんな辱めを受ける位なら、死んだ方がいい。あんたはプライドが無いんか。何を言うの? 情けない。」



私もしその時代に生まれてたら、身体を売って家族を食べさす事をしたと思うと言ってしまったの。
そしたら、私にはプライドがないと。
違うねんよママ、私のプライドはね、どんな事してでも食べさせる事やねん。
家族をお腹いっぱいにね。それがプライドやねん。
キレイ事だけでは済まない時ってあるやん?
私はそんな時は手段を選ばないんよ。なんだってする。



あぁ、私はまた要らんことを口にしたなぁと思った。
でもね、それは本心だった。私は間違いなく、家族がお腹いっぱい食べる為に生きたと思う。
何をやってもいいとは思わない。
ただ、もしその当時生きて行く為やったら、私ならそうしたかもしれないと思ったから、言ってしまったのね。



そんな事をしてまで、生きなくていいという母。

生きて行く為だったら、どんな事でもやれるという私。



全てがこの違いなんやなぁと、分かった時があって。
あのね私ね、どんなに困っても、本当に身体を売った事なんてないし(笑)それが良いなんて全く思ってない。
でも、体裁ばかり取り繕ってもダメな時もあるやん。
私のプライドは大切なものを守りきる事やねんよ。



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【 武士は食わねど高楊枝 】って言葉があるけどね。
亡き母にとてもしっくりくる言葉だなぁといつも思う。
うちの母は、本当にそんな人だったなぁと思う。
母と私はあまりそりが合わなかったのは確かだけど。
母も母の人生を精一杯生きたんだって、今なら分かる。



ねぇ息を引き取る瞬間に、私をじっと見つめたでしょ?
本当に悔しい。時間を戻してほしい。
5分だけでもいい。母にもう一度だけ会って言いたい。



『 たくさん喧嘩もしたけど。きっと本当は大好きだった。私どうやらママにとても似てきたのよ。生意気な娘でごめんね。平行線のままの会話もたくさんあるけど。私の中に、沢山の言葉を遺してくれてありがとう。 』




【 武士は食わねど高楊枝 】
武士は貧しくて食事に困るときでも、今、食べたばかりに装ってゆうゆうと楊枝を使う。武士はたとえ貧しくとも清貧に安んじ、気位が高いことにいう。また、やせがまんすることにもいう。