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日々感じること。心のままに。 私の病気の事、仕事やプライベート、心の中の事をありのままに。

亡き母との想い出


私は母とは、昔は本当にそりが合わなかった。
母はきっと、学生の頃の私の事が大嫌いだったと思う。
私も母と向き合って話をするのがとても苦手だった。



いつからだろう、何となく話をするようになったのは。
きっと私に子供が生まれてから、少しずつ色んな話をするようになったんだろうな。
それまでは顔を合わすと小言ばかり言われて来た。
とにかく、母は私のする事なす事全てにダメ出しをするような人だった。
基本、私は父とは仲良しでパパっ子だったのだと思う。



昨日のblogにも書いたけれど、母は少々こだわりの強い人で、こうだと思ったら一切曲げない。
私にすれば、それはこだわりではなく、頑固なだけやんと思うのだけれどね。



* * * * * * *



母は若い頃、服飾デザイナーだったのだけれど、本当に目立つ人だった。
学校でも他のお母様達より一回り位 年上で若くないんだけど、参観日はどこに居ても直ぐに見つけられる程だった。
昔から髪型はずっと茶髪のボブ。
着る服は全て自分で作るから、既製品とはちょっと違う。



ゆえに、私もずっと母お手製の洋服だった。
普段着はともかく、お出かけする時は全て母の着せたい服で、私が着たい服を着た事はほぼ無いのです。
母は当時、お金持ちのお宅にお客様がたくさんあって、採寸などの仕事の度に、私も連れて行った。
今から思えばね、親子でお揃いの洋服とか、お客様に見せたかったのかもしれないなぁ。新作とかね。



でも私も大きくなってきて、自我がでてくるでしょう。
小学生の頃、ぶりっ子ブラウスが流行っていてね。
私の年代の人は覚えてると思うのだけど、それ大きずぎやろ!っていう位、大きなレースの襟がついたブラウスが流行ったのだけれど、もちろん私は買ってもらえなかった。あの時は大げさでなく、絶望する位の気持ちだった。あの時初めて、買ってほしい!って号泣したのです。



『 あんな安もんのレースのブラウスなんてダメよ。ママが作るわ。』…これが、いつものパターンなのです。
そして、シルクのフリフリの仕立ては良いけど、こんなん全くもって違うものやん!?ってな、ブラウスが完成するのです。



キャンディキャンディの靴がどうしても履きたくても買ってもらえなかったしね。こっち向きとあっち向きで、キャンディの表情が変わる、あの靴ね。
皆んな可愛いの履いてたのに。1,980円で売ってたのに!



母はこっちの方がいいと、メーカーもんのスニーカーとか、これキャンディも履いてるやん!と編み上げの革のブーツを買ってきたりしたのです。
今から思えばね、かなり贅沢なんだけどね(笑)



でも私は、それが本当に本当に、嫌だった。
皆んなと一緒がよかったのに、いつも皆んなと違う格好で違う物を持たされた。
それがトラウマになる位、その当時は辛かったのです。



今は人と同じは嫌だ!位に思ってるので、全部笑い話だし、きっとすごい贅沢をさせてもらってたんだと思う。
でも当時の私は、皆んなと一緒じゃない事が最大のコンプレックスだったのです。



* * * * * * *



私も子育ての中で、母が居てくれて良かったと心底思ったし、たくさんお世話になって、今は感謝しかない。



若い頃、なぜ母ともっと仲良く出来なかったんだろう。なぜ避けてたんだろう。
亡き母とは、ほろ苦い思い出がたくさんあるのです。



その事をね、父に少し話した事があるんです。
母とは良い想い出がほとんどないって。
そしたら父が私に言った事。


【 それはな由美。由美がとても幸せやったって事や。日々の幸せな中にあるほんの少しの辛い事やから、それが想い出になるねん。本当に不幸な人はな、幸せな事が少ないから、数少ない嬉しい事や楽しかった事が想い出になっていくんや。逆なんやで。だから、由美もママも幸せやったんや。】


そっか。父にそう言われて少し心が救われたんです。