癌の宣告 Ⅰ
『 今日も充実した良い日だったな。ありがたいな。』
夕方仕事が終わって、運転しながらの帰り道に、色んな事を考えてたら急に涙が止まらなくなった。
あの時の自分が走馬灯のように蘇ってきたのです。
【 一年前の3月、私は癌を宣告されました。】
本当は、ブログを書き始めた時から、いつ書こうかなって思ってた。
でも、いつも文章の途中で詰まってしまい、思うように言葉にならなかったのです。
でも、ブログを書こうと思ったきっかけを考えた時に、私の病気はやはり外せないよなと。
【 過去記事 】言葉を遺すという事 - yumi-fields
去年は本当に試練の年で、母の葬儀の一週間後に癌を宣告されるという、かなり辛い春のスタートだったのです。
その時の日記をそのまま転記します。
3月11日
一昨日クリニックで、すぐに紹介状を書いて頂く。
カルテ等は直接送って頂いてたのか、話が早くかなりスムーズ。
とても元気で明るい先生で、お会いして直ぐに大丈夫だと感じる。
「 びっくりしたでしょう?間違いなく直腸癌やね。直ぐに手術しましょう 」
先生の声もちゃんと聞こえてるし、話もわかる。でも、誰の話? 私の事? 私自身の話なんだと心が受け入れるのに時間がかかる。癌専門の看護師さんを紹介される。何でも相談して下さいとの事。でも何を相談したらいいのか分からない。
急いで色んな事を頭で理解しようとするが、急に涙が溢れる。
『先生、子供がまだ10歳なんです。だから私まだ死ねないんです。』
振り絞って出た言葉がこれだった。その場で泣き崩れてしまう。
母の介護で、一月ほど仕事をお休みしていた為、葬儀の後は溜まった仕事で忙しくするつもりでした。
それなのに、次は自分の病気?
母が亡くなって、悲しいとか考えてる時間は全くなく…
3月13日
仕事が溜まりに溜まってる。後3週間の間にどうやってスケジュールを組んだらいい?
入院が25日。手術は28日に。
入院前の検査で何度も病院に行く。麻酔をすると運転出来ないので無しでお願いする。痛いけど我慢!
病院、仕事とパズルのように予定が埋まる。分刻みで動く。
* * *
3月17日
告知をされてからの一週間は何が何だか分からないスピードで日々が過ぎる。時間が足りない。家の事、隆真の事は、隆ちゃんが全てしてくれるので、本当に助かる。
仕事中はすっかり忘れてるのに、夜仕事が終わっての帰り道、車の中で毎日泣く。一旦涙が溢れると止まらない。前が見えない。運転が出来ず、道路脇に車を停めて、ひとしきり泣く。何で何でと自分をせめる。何が悪かったのか。何で私なのか?とにかく自分を全否定する。ポジティブ?なれるわけがない。私の何が悪かったのか理由ばかり探す。私は何を試されてるんだろう
* * *
3月19日
疲れた。昨日は仕事を切り上げて、早めに帰る。久しぶりに隆真とお風呂に入って、一緒にベッドに入る。学校の話をしていたのに急に隆真が黙る。
「…ママ、大丈夫?どこが痛いの?」と可愛い手で私のお腹をそっと撫でてくれる。
「…ママ、死なないよね?」消えそうな声で、私に分からないように声を殺して泣いてるのがわかる。
「大丈夫!ママは大丈夫よ!」と言いながら、隆真を抱きしめる。私も気付かれないように溢れる涙を必死におさえる。
隆真も、祖母を亡くして直ぐなので、とても不安なんだ。適当に誤魔化すのは止めよう。きちんと話をしようと決める。
あぁ、私はこんな子を残しては死ねないのだ。
まだまだ私が必要で、たくさん教えないといけない事がある。必ず生きねば!
もう何神様でもいい! 私まだまだやる事いっぱいあるんです!
告知されてから入院までの3週間は、あっという間で、
心も体もギリギリで、目の前の事に精一杯でした。
何でこんな時まで仕事してるんだろう。私は何してるんだ? の気持ちと、目の前にある仕事にただただ有り難いと感謝する気持ちとが交差するのです。
入院は2週間ですが、退院してすぐに仕事は出来ないだろうから、迷惑を掛けないように何処に連絡するか、誰に言うべきか等、とにかく仕事中心に動いていた毎日でした。私、本当に男脳ですよね(笑)
これまで病気とは無縁の人生でした。
ただ、私は癌になる事で、たくさん得たものもあるのです。
続きはまた明日。