親愛なる家族へ
昨日書いたブログを読み返していて、ふと思った。
祖母も大概やけど(笑)私も大概やよね(笑)
そもそも、私の実家に入ることをパートナーはどう思っ
てるのか?とか。
私の実家への同居に関しては、うちのパートナーには
本当に感謝している。
普通に考えたら、私も一応長男の嫁(笑)
母が亡くなって、私も父も同じ癌だったりと、色んな
事が重なって、今回同居する事になったんだけれどね。
色んな形があるとはいえ、やはり悩んだのは確か。
認知の進んできた、姑の事もある。
うちのパートナーは、週に何度も姑の様子を見
に行っている。
そんな状況の中でも、散々話し合った結果今はこうする
と決めた。
祖母の我儘を色々言う前に、私だって家族にもっと感謝
しないとだね(笑)
『 いつも私のする事に協力してくれてありがとう。
今回の同居も私の考えを通させてもらい感謝してる。』
実弟も、優しくて穏やかな性格だしね。
色んな話しをいつもうんうんと聞いて、皆んながそれで
良かったら、俺もそれで良いよと言う。
決して無関心な訳ではなく、何かあったらきちんと対処
するけど、どちらでも良い事は黙って見ていられる穏や
かな性格。私の自慢の弟です。
そしてその弟の嫁。義妹にも、心から感謝してる。
高校生からの付き合いになるので、もう義理ではなく
本当の妹だと思ってる。
母の介護も最初から最後まで全部一緒にしてくれた。
今でも、実家に父や祖母の様子をいつも見に行ってくれ
る。嫌な顔ひとつせず、笑いながら、本当に良くして
くれてる。
私達4人兄弟は、LINEで繋がっているので、普段の
連絡事項は全て共有している。
家族の状況を皆んなが把握している事はすごい安心感。
私は本当に恵まれてるなと思う。
私達はこれからもきっと、仲良く笑いながら、時には
喧嘩もしながら、何でも乗り越えていけると思う。
問題が起きたら、その都度また話し合えばいい。
その時々で状況はどんどん変わっていく。
長男次男と言うよりも、出来る時に出来る人が助け合え
ば良いと思ってる。
大変大変と思い過ぎず、目の前の状況を受け止めて、
淡々とこなしていく事。
楽しく仲良く生活をした方が、きっと幸せだと思う。
せっかく今世、家族になったのだから。
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祖母のこと
『 おばぁちゃん! すごいベッドもうすぐ来るからね!
背中も足の高さも、自由自在やで! アトラクション
みたいなやつ頼んだからね〜。』
先日、祖母の介護ベッドが届いた。
父方の祖母は大正生まれの93歳。
最近急に足腰が弱り、耳も遠くなったが、意思の疎通は
まだしっかりとれる。
今日はこの春から同居する、祖母の話。
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この祖母、一昨年、母の見舞いにこちらに出て来て、
葬儀が終わっても帰らず、そのまま大阪に残った。
田舎の人だし、都会の生活にはきっと直ぐに音を上げる
と思っていた。
当分こちらに居ると言いながらも、私達が父と同居する
頃には、きっと田舎に帰ると高を括っていた。
が!しか〜〜し! 祖母は一向に帰る気配なく…。
帰るどころかその後丸2年、父と2人で仲良く暮らし。
すったもんだがありましたが。
先日晴れて住民票をこちらに移しまして……。
この春から、私達と同居する事に相成りました。
もうね、同居に至るまでは散々話し合ってね。
正直、無理やからって号泣しながら父にも訴えたんよ。
お願いやから田舎に帰ってもらってって。
同居しても、主婦業だけちゃうからね。
私も仕事あるし、自分自身の治療しながらやから。
その上、祖母の事までする事増えたら、私キャパオー
バーやから。間違いなく(笑)
田舎の叔父も叔母も、そんな事全部分かってるから、
何回も祖母を説得して連れて帰ろうとしてくれたのに。
それでも祖母は、うちの父と一緒に居たいって。
もう、根負けしたの(笑)
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母の葬儀の後、私はその頃まだ術後でしんどかったしね
今後の治療の事や、祖母を田舎に帰す事やら、実家で
家族会議してた時だった。
祖母が誤って、トイレの水を溢れさせてしまったの。
祖母がなんやらコソコソとタオルもって慌ててるの。
お風呂場とトイレを行ったり来たりヨタヨタと。
『 何してるの? おばぁちゃん?? 』
見に行ったら、びっくりよ!!!
廊下まで水浸し! おばぁちゃんも水浸し!(笑)
『 えーーーーっ、大変!何してるんよ!』
私達に見つかる前に、自分で掃除したかったのだろう
けど、とんでもない状態だった。
その時、私達もいてたから大事には至らなかったし
階下の家にも、迷惑はかけなかったのだけどね。
私ね、ほれみたことかと。言わんこっちゃない。
おばぁちゃんは、田舎に帰るべき。頭に血が上った。
私達の用事を増やすだけで、ほんまに迷惑。
私も水浸しになりながら、心の中で叫んでたの。
祖母は自分のした失敗に、泣きそうになってた。
ごめんなぁごめんなぁと小さな声で、ずっと謝ってて。
勝手が分からんかったんや…ごめんなぁって。
べちょべちょの服を風呂場で脱がせて、シャワーして
タオルで拭いて。子供みたいやんか!(笑)
その時にね。私なぜか涙が出てきて。
可哀想になっちゃって(笑)
おばぁちゃん、嫌ってた訳じゃないのよ。
ごめんね。私も自分の事でいっぱいいっぱいでね。
帰ってほしいって。ごめん…心の余裕がなかってんよ。
それで、私はその時に心に決めたの。
祖母が大阪に居たいって言うのなら、それでもいっか。
これも、私の人生の課題なんやわって(笑)
その代わり同居するなら、住民票を移して介護認定も
受けて、きちんとしようって。
叔父も叔母も、祖母の行動には呆れてたと思う。
決して祖母を、私達に押し付けた訳じゃないからね。
これまで何十年も一緒に暮らして来たんやから。
祖母の勝手気ままに、叔母はずっと従ってきたんよね。
100まで生きたらどうしよう?って言いながら(笑)
おばぁちゃま❤︎年金付きでお願いします!
経済的支援ありがとうございます!と笑いながら(笑)
この形がきっと一番ベストやねんよ。
私達はこの春から、5人家族になります。
主婦、仕事、癌治療。プラス介護!
よっしゃ! 何でも経験やからね。
やっぱり私、死んでる場合ちゃうから、生かされてるんやわ(笑)
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癌患者の皆様へ ❷
「 和田先生、私ね、死ぬ気がしないんです。余命半年
って言われてもピンとこない。どうしても死ぬイメージ
が出来ないんです。」
私が昨年、初めて からすま和田クリニック に、サード
オピニオンで伺った時に、私が言った言葉。
「 それ、大事な事やで。人間はそうそう簡単には死な
へん。大丈夫や。」と、笑いながら和田先生はその時に
仰った。
『 癌を作った原因は色んな事が考えられる。生活習慣
や食生活、そして強い精神的ストレス。様々な要因が
重なって免疫力も低下してる時に発症するんや。自分自
身で癌を作った原因をしっかり理解して、分からないで
はなく、分かろうとせなあかんで。』
生活習慣と言うけれど、同じ食生活をしていても、癌に
ならない人となる人がいるのはなぜか。
免疫力がいかに大切で、それにも個人差がある事。
メンタル、心の状態も治療に大きく影響する要素だと。
それを、分かりやすく説明して下さった。
『 それから、ええか。癌を治療していく時に薬でもな
んでもな、自分の身体に入れるものが何なのか、知っと
かなあかん。いつも先生に聞いてるか? 医者任せにし
たらいかん。このデータも見方わかるか? この数値が
何を意味するか知ろうとせなあかん。自分自身で癌を治
していくんやで。』
『 まずな、恐怖心を煽るような医者とは付き合わんで
いい。患者さんから色々聞かれて、面倒な顔したり、
怠慢な医者はあかん。治療法、薬の名前、自分の身体に
入るものはちゃんと聞くこと。そして自分自身でも調べ
るんやで。』
医者も人間だ。感情もあるし完璧ではない。
私達は医者の何気ない言葉で、元気づけられたり不安にもなる。
治療をしていく上で、主治医との信頼関係は絶対だと思う。
医者にすがるのではなく、患者と一緒に話し合いながら
治療をしていくパートナーなのだと私は思う。
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今回、腫瘍が小さくなるに至った流れを、書き留めて
おきたいと思う。
【 癌が住みにくくする身体にする為に。】
① 塩分・糖分を控える。
( 癌に栄養分を与えない為 )
②赤身肉・加工肉を取らない。
( 体に炎症を起こさせない )
③免疫力をあげる。ビタミンA C E
( 体内をアルカリ性傾向にする )
毎朝、尿のpHを測る。8.0〜8.5まで持っていく事。
今は平均、7.0〜7.5が多い。
食事は野菜、きのこ、フルーツはたっぷり食べて良し。
ただ白米や小麦粉などの、精製されたものはダメ。
私は玄米と、全粒粉のパンを食べている。
乳製品は食べない。お肉は鶏肉。魚は青魚。
油は身体に良い、オメガ3や亜麻仁油や荏胡麻油、
オリーブオイル。
そして 【 重曹 】私の感では、これがかなり影響
してると思う。
毎日重曹10gを、ペットボトルに500〜700位溶か
して、空腹時に飲む。
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もし、もしね、そんな事で私が長生きできたとしたら…
すごくない? だからちゃんと記録しておこうと思う。
『 そんな事で治るんやったら、癌患者皆んなやる。』
そんな声が聞こえて来そうやけどね。
いやいやいや…。そうやねん。
治ったら言うて。成功したら言うて。
儲かったら言うて。と一緒(笑)
そんな事で治ったら私もするわ。って。
カテーテル治療にしても、食事や免疫療法にしても、
もし私がして長生きしたら、それは由美ちゃんだからや
って言われる。
そして逆に私が予告通り死んだら、まぁそらそうやろね
やっぱりねって言われるだけやのよね。
でもね、聞いて。
私は去年の春、余命半年と言われた。
もうすぐ一年やけど、まだ普通に元気やのよ。
死ぬ気配ないねんよ(笑)
例えば、明日交通事故で死ぬかもしれないって言い出し
たら、私だけじゃなく皆んな同じやからね。
要は『 癌 』という病気では死なないと言う事。
『 腫瘍 』は、敵ではないねんよ。
身体をケアしなさい、見直しなさいというサイン。
体が炎症をおこしてるんだと。
だからその炎症を抑えるには、根本から変えないとまた
発症するんよね。
和田先生も何回も仰った事。
癌の治療は、癌だけ見たらいかんのやと。
その癌が住みにくい身体にする事が先決なんだと。
癌が出来た身体自体に問題があるから、全体をみて今
必要な治療をしないとダメなんだと。
そして、心(メンタル)もとても大切なんだと。
全てが繋がってるんよ。
だから『 癌 』を叩き潰す事だけをみたらあかんのよ。
抗がん剤で癌を攻撃すると、いずれ薬剤耐性ができて、
返って癌が牙を剥く事がある。
だから、癌の勢いを鎮めて共存する事も有りなんだと。
『 髙野くんな、これからカテーテル治療に使う薬な、
抗がん剤せんでいい。
様子見ながら薬の量は減らしていこう。
このまま癌が消えてくれたら一番やけどな、癌が石灰
化したら、それで良いんやから。』
『 癌(腫瘍)だけを見て闘ってはいかん。それを取り
巻く身体の中の環境を正す事、そしてメンタル(精神的)がとても大切なんだという事。全てに於いて治療に影響してくるんやで。』
ミクロではなく、マクロで物を見よ。
一歩引いた時に、全体像が見えて、パァーッと視界が
開ける時がある。
こんなに医学が進んだ時代なのに、癌患者は減るど
ころか増えてる。
今や2人に1人がなる病気って言われる。
それって、冷静に考えたらおかしいよね。
普通なら癌は治る病気になってないとおかしいよね。
それが増える一方やのよね。おかしいと思わない?
治療法はひとつじゃない。たくさん選択肢はある。
何を選ぶか。するかしないか。
何を選択するにしても、自分の命は自分で守る事。
私は結局、一番シンプルなところにたどり着いたのだと思う。
癌患者の皆様へ ❶
今日は、からすま和田クリニック 外来の日。
診察室に入って、和田先生の第一声。
『 髙野くん、これ見てみ〜 』
自分の目を疑った。
2枚の画像を見て『 えっ?誰の? 』って。
腫瘍がね、明らかに小さくなってるんよ。
……あかん。一喜一憂したらあかんから。慎重に。
『 先生、失礼な事言って申し訳ないんですけど。
これは画像どちらも切り取ってるところ一緒ですか?
間違ってないですか? 』
私のかなり失礼な質問に、笑いながら和田先生が答えて
下さる。
「 これが去年の9月。そしてこっちがこの前の。
腫瘍の最大値を比べてる。明らかに小さくなったな。
身体をアルカリ性に持っていく事で、カテーテル治療が
効いてきたんやな。」
びっくり現象が起きた。
私の腫瘍がね。
輪郭が無くなって、ぼやけて小さくなってるの。
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今日はこのブログに、これまでの経過を全て残しておこ
うと思う。少し長くなります。
私と同じ癌治療をされてる方には、ぜひ読んでほしい。
そして、その家族の方にも。
【 これまでの経緯 】私は2016年3月に大腸癌の手術を受けた。
その時既に、ステージⅣだった。
数カ所のリンパへの転移、腹膜にも
腫瘍が見つかった。
手術は成功。
見えているものは全て摘出出来たとの事。
大きな手術になった。
ただ、stoma(人工肛門)は付けずに済む。
その後、主治医からは抗がん剤治療を
勧められるが、しないと決断。
ステージが進んでいた為、毎月の血液検査、
3か月おきの造影剤CT等、
こまめに診察や検査を受ける。
自分でも転移は高い確率で考えられると思って
いた。
もし転移した場合、早期で見つかるように、
早い段階で処置が出来るようにと、私なりに
考えてこまめに通院していた。
主治医からは、特に食事制限もなく好きな物を
食べて体力をつけるようにと指導されていた。
2017年4月。ある日、夜に大量の下血。
特にどこが痛い等の自覚症状もなかった為、
朝を待って病院へ。
その場で即入院になる。
【 虚血性腸炎 】との診断。
一週間の安静入院。
その時の検査で、たまたま撮ったCTに、
肝臓に2ヶ所転移した癌が見つかる。
主治医からその時に言われた事。
『 肝臓に2ヶ所の転移が見られました。
4センチと5センチ程の腫瘍です。
今の段階では手術はしても無意味です。
他の臓器やリンパにも、今見えていないだけで
ほぼ間違いなく転移してると考えられます。』
昨年の春の時点で、末期だったという事。
手術をしても、ほぼ間違いなくまた再発するの
で、抗がん剤をしましょうとの事。
腫瘍を少しでも小さくしてから、また手術をす
るかどうか考えましょうとの事だった。
主治医に確認する。
私は後どれくらいですか?
『 抗がん剤をしなければ半年。
抗がん剤をしても2年半程だと思います。
これはあなたには当てはまらないかもしれない
けれど、この状況での普通の生存率です。
そのままだと腫瘍が破裂する可能性もあるので、
その状況になるとまた変わってきます。』
主治医には神妙な顔でそう言われた。
死の宣告だった。
どちらにしても私は死ぬんだなと思った。
先生、これって見落としですよね?
私こまめにチェックしてたのに。
今回の下血がなかったら?
そしたら私どうなってたんですか?
こんな大きな腫瘍なのに。
今まで見つからないって…。どうしてですか?
あの時、何を言ったのか思い出せない。
きっと放心状態で、色々な事を言ってしまった
と思う。
あの時にカンファレンス室での主治医の
最後のひと言。『 でも髙野さん、去年抗がん剤をされなかった
時点で、余命は半年程だったんですよ。』
びっくりした……。
え? じゃ何? 今日まで長生きできたやんて事?
手術直後には、私も余命なんて聞かなかったけど、
あの時点で既に半年だったって事?
そして、私はその病院での一切の治療を止める。
もの凄い恐怖心と戦いながら、やはり抗がん剤
治療をしない決断をする。
そしてその恐怖心とは、抗がん剤をしない事よりも
無知な、ど素人の患者が、医者を敵にまわすような
行動や言動をした時の、疎外感や孤独感だと思う。
去年の春、私に起きた出来事は、私だけじゃない。
全国のあちこちで、日々起こっている事。
その時のそれぞれの決断が、判断が、人生を大きく
左右する。
私があの時に抗がん剤治療をしていたら、今頃この世
には居なかったか、点滴に繋がれて、確実に病院の
ベッドに寝ていたと思う。
*******𓆝𓆟𓆜𓆞𓆡*******
そして、私は奇跡的に今回のカテーテル治療に出会う。
もう、ギリギリのギリギリだった。後がなかった。
何かに導かれるように、私が辿り着いた病院。
IGTクリニック http://www.igtc.jp/
大腸癌の肝臓への転移はとても難しいと言われる。
それでも直ぐに治療を受ける決断をし、5月に初めてカテーテル治療を受ける。
そして癌の進行はストップした。
腫瘍の部位によっては、カテーテル治療を一回しただけ
で、消えてなくなる事もあるという。
私は5回受けた時点で、進行はストップしていたが、
腫瘍の縮小が思ったようには見られなかった。
IGTクリニックのhttp://www.igtc.jp/ 堀先生から、
今回のからすま和田クリニック を紹介して頂いた。
『 この からすま和田クリニック で、治療を受けた方の
カテーテルの結果がとても良いのでね、髙野さんも
和田先生の指導を受けてみませんか?』
そして、私が3か月、食事指導と一緒にしていた事。
【 重曹水 】を飲むだけ。
糖と塩をカットして、身体をアルカリ性に持っていく。
その為に【 重曹水 】を飲む。
費用もひと月に、数千円とか。
これって……すごくない?
そして、カテーテル治療に使った【 メイロン 】
これがどうやら、じわじわと効いてきたの!
……長くなりすぎました(笑)
和田先生からの話は、明日全部書きます。
私が指導を受けている事。
食べている物。今の時点での全てを書きます。
実家にて
ただ今、実家でして。
父の取引先のお客様が来られてまして、接待中です。
今、台所でつまみ食いをしながら、このブログを書いてます(笑)
今日は朝から神戸で仕事してました。
夕方ダッシュで買い物をし、実家に着くや否やお客様を迎える準備。
仕出し料理を頼んだのですが、宴会の状況を見ながら、おつまみとか箸休めとか、なんだかんだ料理も作ってます。写メ撮るのすっかり忘れました。
私、やれば出来る子です(笑)
今日のお客様は私よりひと回り位目上の方達ばかり。
某会社社長ご夫妻と専務とスタッフの方々。
こんな時は娘として、出しゃばり過ぎもダメ。
引っ込み過ぎてもダメです。
難しい話の時、和気あいあいの話の時。
頃合いを見計らって、料理を出したり会話に入ったり。
若い頃、新地のバイトで学んだノウハウが自然と生かされてます(笑)
ホステス時代(笑)懐かし〜〜。何でも経験です。
おもてなし、楽しいです。こんなの大好きです。
初対面の方と会話を楽しむ事。私は得意です。
父の横で色んな話を聞き、今日もたくさん勉強させて頂きました。
何より、父がご機嫌なので、私も嬉しい。
そろそろ、デザートの時間です。
今から美味しい珈琲と、紅茶を淹れます。
後片付けもてんこ盛りあるので、今日はこの辺で(笑)
おやすみなさ〜〜い
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笑顔の参観日
今日は、小学校最後の参観日だった。
ほんまに最後なんよね。早かったなぁこの6年。
この6年間の学校行事は、ほぼ夫婦で出席できた。
時間を縫うようにスケジュールを入れて来たけど
これぞ自営業のなせる技(笑)なんとかなるもんだ。
『 あそこ夫婦いつも一緒よね。何してはるんやろ?』
……きっと6年間、そう言われてたに違いない(笑)
最後の参観は学年合同。音楽の授業の流れでの合唱と、クラス対抗な大縄跳びを披露してくれた。
6年生は4クラスあって、この学年は皆んな仲が良い。
担任の先生同士が、皆仲が良いんだよね。
だから、それが子供達にも連鎖する。とても良い事。
今日は最後だしね、私の事やから絶対に泣いてしまうと思ってたのに。
バスタオル要るんちゃうかと思ってたのに。
めっちゃ楽しい参観日やったの!(爆笑)
参観の最後は、子供達全員で『 バブリーダンス 』♬🎶
うちの子(笑)めっちゃキレッキレで踊ってた!
いつの間に練習してたんだろう⁈
アンコールするぐらい、上手だった(笑)
なんかね、荻野目ちゃんのダンシングヒーローとか、アース・ウィンド・アンド・ファイアーとかね、私ドンピシャで青春してた時の曲やからね(笑)
私その頃はピチピチやったし、ディスコでおへそ出して超ミニで踊ってたもん!(爆笑)
ワンレンボディコン、そのまんまやったからね(笑)
あの頃の音楽で、自分の子供が楽しそうに踊ってるのを見て、何だか不思議な感覚だった。
すっかり泣く準備してたのに、最後まで笑顔の参観日。
なんかね、関西の参観日って感じで嬉しかった(笑)
あっそう言えば……。
先日の学年集会の時も、最後は爆笑だったのよ。
子供達手作りの『 卒業式まで後何日カレンダー 』を見て、ウルウルきてたのに。
もうね、恥ずかしい位にポロポロ涙が出ているのに、そんな時に私の視界に入ったもの……。
教室の壁にお習字が貼り出されてたの。
『 夢 』『 希望 』『 友情 』……
泣ける……皆んな上手に書けるようになったね。
ひとつひとつ、心で文字を読みながら見てたのね。
『 勇気 』『 絆 』『 焼肉定食 』『 世界平和 』…
んんん? え?『 焼肉定食 』? や、焼肉?
ここで何でその4文字? 何で⁈ どうした⁈
もう誰やねん⁈ ってか、うちの子やし‼ ︎
なぜゆえ、この流れで『 焼肉定食 』なんよ!
食べさしてへんみたいやんか!
……母の涙腺、一瞬で引いたから!!!(爆笑)
ありがとう。最近いつも最後は笑いなんよね。
家でもオチは一番大事って教えてる(笑)
大阪人たるもの、ってね(笑)
よし、6年間でちゃんと学べてるな。
最後はドッカーンと笑いで締める(爆笑)
隆真。ありがとう。
涙は卒業式まで取っとかないと。ね。
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