yumi-fields

日々感じること。心のままに。 私の病気の事、仕事やプライベート、心の中の事をありのままに。

心穏やかに



稲穂がぐんぐん力強く伸びてとても美しい景色。
これぞ、日本の田舎の風景だなぁと思いながら車を走らせる。もう何回この道を通っただろう。
この田園風景って、見てるだけで豊かな気持ちになる。




自分自身の心がね穏やかになる感じ。自然に還る感じ。
春夏秋冬ってね、日本にはちゃんと季節があるでしょう。だからかな。それがとてもホッとする時がある。
季節のある国に生まれて良かったなぁと心から思う。



『 由美ちゃん、今日来るの? ほな顔見に行くわ〜。』
って。嬉しいな。
きっと、なすびやトマト、夏野菜をどっさり下さるはず『 これ持って帰り〜』って。(笑)
そんな事が、しみじみ嬉しい。
帰りの車の中で涙が止まらない時がある。



この世はまだまだ幸せがたくさんある。



一生懸命考えても、答えの出ない事。
今はちょっと横に置いて、先に進んでみよう。


本当はシンプルな事なのに、自分で難しくしてる事。
今はちょっと考えるのやめて、少し目を閉じてみよう。



私の心も 身体も もう少しの間
穏やかでありますよう…

メンター


昨日blogに【 メンター 】の事を少し書いたのだけど。
今日はもう少し深く書いてみようと思う。
メンターって言葉、聞き慣れない人もいるよね。
仕事や人生に於いての指導者、助言者の事なんだけど。
皆さんには【 メンター 】っていますか?



これは難しい話ではなくて、自分の周りに必ずいると思う。特別な人でなくても、自分が何かに迷ったり、大きな決断に迫られたりした時に、的確なアドバイスをくれる人。自分の背中を押してくれる人。その人に会うだけで、元気になれる人。それがメンターです。
私もこれまでに数人、そんな指導者がいました。



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私が初めて、特定のメンターに相談に行くようになったのは、20代の半ばだった。
『 いいか、目に見えてるもののほとんどが嘘。目に見えない事の中に真実がある。』
びっくりするようなそんな話を、でも私にはしっくりきたそんな話を、そのチャネラーの先生は、たくさん教えてくれた。



その先生から教わる話は、とても面白かった。
私はそれまで、そんな話をのびのびとした事がなくて。
目の前で起きるびっくり現象も、私にはとても新鮮な事だった。『 自分の考え方、見えてると思ってる事、それを一度全部疑ってみた方がいい。』
そんな事を日々教えられた。



でもそんなある日、私が当時大好きだった人に、初めてこの話をした時の事。
「 自分がクリアになっていく気がする。この先生の話の中に答えがある気がする。」って言ったらね。
全否定されたの(笑)私のこのひと言に、全否定。



そんなものは無い。お前はおかしい。世の中、目に見えるものが全てや。って。
それやったらな、そんなんが全部分かるんやったら、世の中の人皆んな幸せで、全員金持ちやろ!って。
これはどうなん?じゃぁ、これを証明してみてとか。
ありとあらゆる事を並べて、笑われたのね。



私ね、その時にはまだ何にも言えなかった(笑)
あのね、そんな世界が有るとか無いとかじゃなくて。
私は私の感じる事、視えてる事が私には普通なんよね。
証明できる事だけが真実で、証明できない事が全部嘘ならば、世の中は嘘だらけだ。
後から思えば、あるという前提で、私が話をした事がダメだったのね。



でも、その人に嫌われたくなかった。
そやんね、証明とかどうすればいいのかわからないし。
私はこの現実世界で生きて行くのだから、やっぱりそんな訳の分からない話は全部封印しようと思ったの。



それからは、先生に言われる事を全く実行しなかった。
先生の助言は、外れればいいくらいに思ってたし(笑)
言う通りにしなければ、その言葉を信じなければ、私が動かなければ何も変わらないんだから。
そんな事は後付けで、なんとでも言えるよなと、本当にそう思ってた。



そして、そんな事は先生には全てお見通しだった。
あの時に、私がもっと素直に話が聞けていれば、こんなに遠回りしなくて済んだのかもしれない。
何十年も経ってから、あの時の言葉の意味が初めて分かったりもする。
でも今は、それも全て私のタイミングで、必然だったんだろうと思う。



何かを信じる事で、考え方は必ず変化していく。
今まで自分が思っていた【 成功する 】と言う意味合いが根本から違ってきたり、お金に対しての考え方も変わってきたりする。
その考え方の変化を受け入れる事が、成長なんだろうなと思う。



【 メンター 】そのものに対する思いも、違ってきた。
特別な凄い先生だからメンターなのではないと思う。
身近な友人(ソウルメイト)も然り、庭の植物も然り、子供も然り。学ぼうと思えば何からでも、何処からでも学べると私は思う。

我以外皆我師




『 もう貴女はここには来なくていい。僕が言う事がもう分かってるよね? ここにはその確認で来てるよね? だから、もう僕からは卒業。』



最後のメンターに言われた言葉。40手前だった。
それから私は特別なメンターを持たずに今日まで来た。
もちろん、その時々にたくさんの人に助けられた。
その都度、たくさんの気付きやアドバイスを貰った。
それは、友達や家族。そして、お客様やお取引先様の事もあるし、子供や植物の時もあった。



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私が幼少の頃から、目に視えない世界と縁がある事は、これまでにも少しずつ書いて来たんだけど。
私は20代の頃、目に見えるもの以外は全く信じないと決めた時期があった。と言うか、信じたくなかった。


私は、確実にそこにあるのだけど目に視えない世界を
心のどこかでいつも気になりながら、でも全否定した。
物心着く頃には、そんな人や物事にどうしても縁があり
でもそれが、嫌で嫌で仕方がなかった。
その類の人達から、あなたも分かるでしょ??って言われる事から、解放されたかった。



それでも、縁があるものからは、良いも悪いも離れられないんだよね。
何だかいつも私の周りに、そんな人が寄って来た。
でも自分でも薄々気づいてたんだけどね。



私は周りの友達には、その類の話は一切しなかった。
そんな話をしたら、人が離れて行く気がして怖かった。
少し話をすると、攻撃してくる人も沢山いた。
だから、私は口を噤んでしまった。
あれ?あなたの普通と、私の普通って少しズレがある?
そう敏感に感じ出したのは大人になってからだった。



私ね、あなたは何者?って聞かれたり、普通とか普通じゃないとか、視えるとか見えないとか、そんな区別をしたりする事自体が、本当は違うと思ってるの。




この自然界、宇宙には不思議な事で満ち溢れている。
言葉にならない、言葉に出来ない事で溢れている。
説明のつかない事だらけなんよね。



ただ、いつもそんな事を思いながらも考える事。それは
私達は現実のリアルな日常を生きてるという事。



日々のたくさんの学びも、人からだけでなく、自然界から教わる事も多いでしょう。
だから私は、ソウルメイトと一緒に切磋琢磨して生きていく、それが全てだとも思ってるのね。



こんな話を避けてた訳ではないんだけど、私自身が感じる事。私自身が思う事。
今日から少しずつ、書いていこうと思います。



【 我以外皆我師 】
自分以外の人すべて自分の先生である、自分を育ててくれるのは、自分と関わったすべての人だという事。

母との確執 ②



もう一つ、母との間で決着のつかなかった話があって。
今日もそのまま書いちゃおうと思う。
きっと、これで心のモヤモヤはスッキリするかな。



夏の季節になると、戦争のテレビ番組が増えるでしょ。
亡き母は昭和12年の戦時中に生まれている。
母もまた、当時の事を思い出して、話をよくしてた。
神主の家に育った彼女は、幼い頃は何不自由ない生活をしていたのだけど、敗戦と同時に家も財産も全てを無くしたのです。



戦後、戦地から栄養失調で帰ってきた兄と、病気の両親を続けて看取った母は、その頃どんな思いで生きて来たんだろうと思う。想像するだけで辛かったと思う。
その頃の母に会えたら抱きしめてあげたいと思う。



『 由美は戦争というものを知らないからね。』
と、そんな話になるとこう言われた。
『 ママは、アメリカ兵のくれるおかしは一切食べなかった。他の子供達がチョコレートとかビスケットを貰いに、ジープが来ると群がってたけど、私は絶対に行かなかった。』といつも聞かされた。
食料がなくて、いつも皆んなひもじい思いをしてた事。
農家に行き、着物とサツマイモを交換してもらった事。
当時の大変な話を、私は散々聞いた。



『 私がもし戦時中に生まれて、女学生とかもう大人だったとしたら、身体を張って生きたと思う。』


私のこの一言から、母とすごい言い合いになったの。


『 もし食料が無くて、家族が飢えてたら、私はきっと身体を売ってでも、お米を持って帰って来たと思う。』


あの時、一瞬にして母の顔色が変わったのが分かった。
そして、私をジッと見つめながら母が言ったの。


「 そんな辱めを受ける位なら、死んだ方がいい。あんたはプライドが無いんか。何を言うの? 情けない。」



私もしその時代に生まれてたら、身体を売って家族を食べさす事をしたと思うと言ってしまったの。
そしたら、私にはプライドがないと。
違うねんよママ、私のプライドはね、どんな事してでも食べさせる事やねん。
家族をお腹いっぱいにね。それがプライドやねん。
キレイ事だけでは済まない時ってあるやん?
私はそんな時は手段を選ばないんよ。なんだってする。



あぁ、私はまた要らんことを口にしたなぁと思った。
でもね、それは本心だった。私は間違いなく、家族がお腹いっぱい食べる為に生きたと思う。
何をやってもいいとは思わない。
ただ、もしその当時生きて行く為やったら、私ならそうしたかもしれないと思ったから、言ってしまったのね。



そんな事をしてまで、生きなくていいという母。

生きて行く為だったら、どんな事でもやれるという私。



全てがこの違いなんやなぁと、分かった時があって。
あのね私ね、どんなに困っても、本当に身体を売った事なんてないし(笑)それが良いなんて全く思ってない。
でも、体裁ばかり取り繕ってもダメな時もあるやん。
私のプライドは大切なものを守りきる事やねんよ。



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【 武士は食わねど高楊枝 】って言葉があるけどね。
亡き母にとてもしっくりくる言葉だなぁといつも思う。
うちの母は、本当にそんな人だったなぁと思う。
母と私はあまりそりが合わなかったのは確かだけど。
母も母の人生を精一杯生きたんだって、今なら分かる。



ねぇ息を引き取る瞬間に、私をじっと見つめたでしょ?
本当に悔しい。時間を戻してほしい。
5分だけでもいい。母にもう一度だけ会って言いたい。



『 たくさん喧嘩もしたけど。きっと本当は大好きだった。私どうやらママにとても似てきたのよ。生意気な娘でごめんね。平行線のままの会話もたくさんあるけど。私の中に、沢山の言葉を遺してくれてありがとう。 』




【 武士は食わねど高楊枝 】
武士は貧しくて食事に困るときでも、今、食べたばかりに装ってゆうゆうと楊枝を使う。武士はたとえ貧しくとも清貧に安んじ、気位が高いことにいう。また、やせがまんすることにもいう。

母との確執 ①




母が昨日夢に出て来たから、やっぱり書いておこう。
ここ数日、何となく上の空みたいなblogになっていて。
自分でも何だか、うわべだけのどうでも良い事を書いてる感満載で(笑)
心に何か引っかかったまま、先には進めないね。
今やる事いっぱいで、楽しい事続きなんだけど、心の中の何かを避けて通るってやっぱり無理だね(笑)



私が母とはどうしても分かり合えなかった事がなんなのか。ちゃんと書いておこうと思う。
あの頃、もちろん日々喧嘩をしていた訳ではないし、家族も基本仲良かったしね。
普段は笑顔だし、楽しい事もたくさんあった。
ただ深い話をし出したら、必ず噛み合わなかった。
だから、なるべくそんな話は、お互い避けてたと思う。



私は本当に生意気な娘だったと思う。
前にも少し書いたのだけど、阪神淡路大震災の年に、父の会社がダメになった。
新聞にも載る程の出来事で、父の会社も連鎖倒産に巻き込まれた形だった。
その時はもう、私も弟も社会人になってたので、何とかやっていけたのだと思う。



私は、あの頃の母がどうしても許せなかった。
母が父の小言を私に言うようになった事もあったのだと思う。私は母の口から毎日でる溜め息や、愚痴が心底嫌だった。グチャグチャ文句を言ってる暇があったら、手に職があるのだから稼ぐ事を考えろと思っていた。
でも母は動かなかった。



後から思えばね、心が疲れすぎて動けなかったのかもしれない。私の知らない事が、きっともっとたくさんあったのかもしれない。
でもね、家が、自分の旦那が、大変な事になってる時に
他人事みたいな態度で、大変大変って言ってるみたいで
ママ、何やってるん?ってずっと思ってたのよね私。
父の事より、あの頃は母の態度が許せなかったのよ。



私だったら、家族の生活を守る為に何でもしたと思う。
妻だったら、何だってどんな事だってしたと思う。
自分の旦那を突き放すのではなく、全力で守ると思う。
それが夫婦だと思うから。だって人生色々あるやん。
良い時だけじゃなく、夫婦やったら悪い時も一緒やん?
六畳一間の生活になったとしても、自分の旦那を必ずまた表に出させてみせるって、必ず成功させてみせるって、私なら頑張ったと思う。
それが私と母の性格の違いなのかもしれない。




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私はお嬢ではないけれど、物心ついた頃から経営者の娘の扱いをされていたし、良い生活もさせてもらってたと思う。
父を見ながら、私も30には自分の会社を創るんだと、ずっと思ってきたから。
だから、父とはたくさん話をした。
普通の父娘以上のつながりがあったのだと思う。
でも母とはそんな話はほとんどしなかった。



そんなこんながあって、何とか目処がついてきたある日
母が言った言葉が、どうしても引っかかったの。



『 ママはパパをずっと見て来たからね。ずっと一緒にやって来てんからよくわかるのよ。』



母のサラッと言った言葉がなぜか許せなかった。
ずっと黙って聞いてたのに、私も言わなくてよかったのに、その時に母に言ってしまった後悔してる言葉がある。



『 あのさ、ママはずっと助手席に座ってただけやん? 運転席の景色とは全然違うよ。ハンドルを握ってる本人とね、横に乗ってるだけの人とは違う。同じ車に乗ってても、同じ景色を見ていても、視えてるものが全く違うねんよ。ママは分かってないと思う。私はパパの気持ちがもの凄く分かるよ。』



って、言っちゃったの……。
あなたは横でずっと見てただけで、経営者ではない。
パパと同じ思いなんて、してないやん?って。
吐いた言葉は二度と返ってこないね。



「 あんたは何でも知ったような顔して。その目が嫌い。何もかも見透かしてるような、その目がホンマに嫌い。あんたとは分かり合えないわ。」



母が私に言った言葉が。
あの時に、私を睨みつけて言った言葉が。
あんたって。
私の事を娘ではなく他人のように、あんたって言った母の事が、私も忘れられない。



夏の暑い日に、ベランダの花の水遣りの手を止めて、母が私に言った言葉。今でも胸がキュッとなる。


それなのに。こんなに母に似てきてしまった…。


【 過去記事 】
自己紹介の続き - yumi-fields
父の事を… - yumi-fields

時間の使い方




『 由美は時間の使い方が下手やね。どんな人も1日24時間は決まってる。時間が無いんじゃない。あなたの使い方が悪いだけ。』


またもや、明け方に呆れ顔の亡き母登場。
私きっと、昨夜はしかめっ面で寝てたと思う。
夢に母が出て来て、小言をずっと言われてたみたい。
細かい内容は覚えてないんだけど(笑)



私ね、最近ちょっと仕事し過ぎなんかな。
仕事だけでなく、スケジュール入れ過ぎかも(笑)
ここ数日、ウォーキングも出来てないし、もちろんスタバでお茶する時間もない。
1人で、ぼ〜っとする時間が取れてない。
それって、あかんよね?(笑)



でもね、毎日楽しい事ばっかりで充実してるのね。
ストレスがある訳ではないの。……ただね
何となく、スケジュールに支配されてる感があるのね。
もちろん自分で組んでるんだけど、たまに手帳見返して、びっくりする時があるのも確か(笑)



10時に大阪市内。14時に和歌山市。19時に姫路市
いやいや、仕事の段取り考えて、アポイントは入れてるはずなんだけどね(笑)
普通はね、和歌山に一つ入ったら、その周辺で一日仕事するように組むんだけどね。
たまにズラせなくて、めっちゃハードな日があるのね。



いつまでも、若い時と同じような動き方してるしね。
自分がまだ病気である事もすっかり忘れてるし(笑)
それはいいとしても。
もう少し時間も心もゆったりしないといけないなぁと。



これから、どんどん忙しくなるでしょう?
だから、昨夜は母が出て来て、色々と私に言いたかったんやね(笑)
きっと、心配もあったんだろうと思う。



今日は土用の丑の日で、うちのパートナーが美味しい鰻を買って来たので、実家に行って皆で鰻丼を食べたのね。父も祖母も喜んで、美味しい美味しいってパクパク食べてたの。



そしたら父も祖母も口を揃えて私に言うのよ。
『 由美も色々と日々忙しいねんから、こんなん持って来んでいい。鰻は美味しいけどな。』
何やそれ! (笑)私もそんな顔が見たいから、何とかかんとかスケジュールの合間をぬって顔見に行くんやんか!(爆笑)
ってな感じで、行くとこや会いたい人が増える訳よ〜




『 由美はね、もっと時間の使い方を考えなさい。何でも詰め込み過ぎ。あれもこれも欲張り過ぎ。時間もスケジュールも腹八分で丁度いい。ゆったり自分と向き合う時間を作りなさい。』


はーい、お母たま!(笑)もう当分出てこんでいいよ!

ピロートーク⁉︎



昨晩の事。我が子からの誘い(笑)


『 ママ、今日はもう仕事終わったん? お風呂も入った? そう!良かった! じゃ一緒に寝よう! 話したい事がたくさんあるねんよ〜。』



……あかん。可愛すぎる(笑)
最近ね、たくさん難しい言葉を覚えて、その単語を使いたくて仕方がない我が子。
新しい言葉を仕入れてくると、わざとその単語が使えるような話に持っていくのが面白い。



『 ママ、先にベッドに行っとくで。早く来てよ! 待ってるからね〜。ピロートークしよ〜〜。』



えーーーーっ! もうね吹いたわ!(爆笑)
りゅうしん、それちょっと意味合い違うねんよ。
どこでそんな言葉を覚えてくるんやろう?
外でそんなん絶対言うたらあかんのよ!
ほんまにビックリする事を言う(笑)



ちゃんと意味も分からずに何となくで使ってるのだけど
あまり間違いを指摘し過ぎると、萎縮して話をしなくなってもダメかなと思うので、よほど滅茶苦茶以外は、基本のびのびと使わせてる。
家の中だけは思いっきり間違えたらいいんだよ!(笑)
でもね、たまに爆笑するような事を言うのよね。



四字熟語とかも、言いたくて仕方がない(笑)
難しい言葉を並べ立てて、オレすごいやろ?と頑張ってる感をアピールしてくるのが面白い。
今はインプットした事を、アウトプットする事で、学んだ事が自分のものになると思うから、ママ黙ってる。
ひとつひとつ、日々あなたの成長が嬉しいです。



でもね、りゅうしん。
難しい事をシンプルな言葉で(ひらがなで)伝える事が出来る人が、ママは賢い人だなと思ってる。
頭の良い人程、難しい事を子供でも分かるように、易しい言葉で説明できるんだよ。